テレビ事情に疎い私が彼を知ったのは、ゴールデンウィークの頃だったか?
「コイツ好かんのよねー。強いんだろうとは思うけど、あまりに礼儀がなっとらん。
しかし、好かん好かんと思いながら、試合は毎回見てしまう」
と、テレビ指さしてかれっしんぐが言ってからだ。
なるほど、確かに、際立ったキャラクターに家族愛、傍若無人なビッグマウス、賛否大両論もわかるってもんだ。
にわかに興味をもって、彼に対する感想を、いろんな人に聞くともなく聞いてみた。
結果。彼に対する興味がある・なしにかかわらず、
私が身近に接している良識的な男の人たちは、こぞって、
「いくら強いとしても、あの口の利き方はどうにも良くないねー」と、しかめ面。
対して、女の人たちは、だいたいが
「まあ、生意気だけど、若い子だしね。」 「なんだかんだいって、強いわけだし。」
て感じで、彼の態度に激しい嫌悪感を示す人はいない。
会社という上下関係のはっきりした組織に属しているかどうかに限らず、
社会で生きている男の人は、基本的な礼儀とか言葉遣いに厳しいもんなんだなー、
女の人は、いくつだろうと、(自分も含めて)やっぱり母性本能とかが勝るのか、感情的な生き物なのか、そういうことには結構、無頓着なんだなーと思って、興味深かった。
それで、こないだの試合である。
情報収集の好きな私は、新聞やネットの公的記事は言うに及ばず、
有名人の(時には週刊誌的な)意見・感想や、一般の人のブログ、果ては2ちゃんねるまで、けっこういろんなところを見て回った。
私自身は、亀田興毅を別に好きでも嫌いでもない。
悪い奴だとは全然思わないし、プレッシャーもいろいろあるだろうし、若いんだし、すごいストイックな練習をしてる面では偉いと思うし、
まあでも、私の好きなスポーツ選手、中田英寿とかイチローとか武豊とかに対するような熱い気持ちにはなれないな。というくらい。
ガッツさんとか、勝谷誠彦さんとか、みんなの言い分がそれぞれに一理あるな、って思う。
でも、いちばん自分にしっくりくるなーと思ったのは、浅草キッド水道橋博士のブログ。
http://www.asakusakid.com/diary/new.html
『憎しみも無いのに顔面を殴りあうスポーツである、
ボクシングだからこそ芽生える「敬意」を、
興毅は、いまだ対戦相手に見せてやろうとしない、
この周囲の教育ぶりにもガッカリ。
早くなんとかならないか? 』
『辰吉丈一郎も試合前のパフォーマンスで
対戦相手を小バカにしたり、
試合中に、腕をぐるぐる廻して挑発したこともあった。
それでも試合後には、必ず、相手を讃えていた。
試合が終わったら、
自分の腕を挙げて会場にアピールするよりも先に、
対戦相手の腕を上に持って讃えていた。
あの天下分け目の天王山、
日本中が注目し、舌戦を繰り広げた末に、
判定負けした薬師寺戦では、
試合中に拳を骨折したアクシデントを言い訳もせず、
「チャンピオンは強かったよ!
いままで侮辱したことを誤りたい」と発言した。
だからこそ、本物のカリスマとなっていったのだ』
水道橋博士は、もともと格闘技がすごく好きで、注目を浴びすぎるようになる前から亀田一家のことも応援してきた。
だからこそ、この苦言。説得力がある。
私みたいな一般人が(世の中のほとんどの人は一般人なのだ。)、あるいは子供たちが、
スポーツを楽しんで見るのは、
もちろん強いからだったり、
派手でわかりやすいパフォーマンスをしてくれるからだったり、
ストイックな努力に脱帽するからだ。
でも、私はそれだけでは感情移入できなくて、
やっぱり「一流であるからこそ、一挙手一投足に説得力があって尊敬できる」人であってほしい。
一流の選手の人間としての品性、みたいなのに、惹かれるものなのだ。
破天荒なのはカッコいいし、奔放さも魅力にはなる。
若さゆえの未熟さも素敵に見えることも、ままある。
頭がいい悪いの問題では、もちろん、ない。
今のままでは、どうしても「マスコミや何かしらの権力に踊らされてる」感がある。
このままでは、どんな言葉も虚勢にしか映らなくなってしまう。
せっかく若くて一生懸命な子の、痛々しい姿は見たくないな。