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GW備忘録

●2日
前回の日記を書いた日。
10時半~19時半、仕事。
夜ごはん、あじのひらき、刺盛り、あとなんだったっけ?

●3日
寝倒す。
起きると、寝違えというのはすさまじい肩周辺の痛み、連休じゅう苦しむことに。
夜ごはん、さば、大根おろし、春雨と刺身ワカメ・きゅうりの酢の物、しめじやらのお吸い物。

●4日
早起きしてキャナルシティへ。
母の日の贈り物、ランニング用のシャツとパンツ、クッションなど買う。
昼はスペイン料理のバイキング。
夜は鶏そば、甘えび、いわし明太、大根とわかめの胡麻サラダ。
珍しく冷酒を買って少し飲む。

●5日
夫の実家、篠栗へ。
炊き込みご飯、とりのからあげ、たけのこ料理2種、ポテトサラダなどなど。
義妹夫婦と3歳になったサトシくんも一緒。激しく遊ぶ。
夕方前に辞し、帰宅して少し昼寝、30分ランニング。
夜、薬院六つ角近くでイタリアンのコースとワイン。すごくいいお店。
場所を移してもう1軒でさらにワイン。

●6日
読書。松井今朝子『吉原手引草』面白く読む。
直木賞受賞作としては、話の筋自体は小粒な感じも受けるけれど、
なんといっても細部に至るまでの考証のすばらしさは、さすが松井さん、という感じ。
さらに、しばらく前に買っていた隆慶一郎『吉原御免状』も、さらっと読む。
こちらは、吉原を舞台にした剣客ものかと思いきや、
実は網野善彦などでもお馴染みの「無縁」の者たちの歴史をベースにしていて驚き。
また今度じっくり読もうと思う。
夜ごはん、ぶりの塩焼き、お味噌汁、ほか、夫の実家でもらってきた色々。

全般に、気ままに過ごした連休、満足なり。
特に、相変わらずの夫の寛容さには目をみはるものがある。
ありがたいなーとしみじみ感じつつ甘えっぱなし。
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by emit9024 | 2009-05-06 22:03

フクジョウシ、その意を知ったはいつの日か?

日曜日、11時半、起床。ちなみにゆうべの就寝時間は深夜2時過ぎ。
夫がいないとついつい夜更かしになるのはなぜだろう。

病院へは14時半、出発。
「その3時間のタイムラグは何なのだ」と夫に不思議がられたが、
えーと、だらだらだらだらと家事などやっております。

<<タロー、今日の病院食>>

朝:ごはん、味噌汁、おきゅうと、海苔、漬物
(タローコメント 「いつもより少ない・・・・」)

昼:ごはん、味噌汁、漬物、きんぴらごぼう、白身魚のカレー風味揚げ、ヤクルト
(タローコメント 「きんぴらごぼうがかぶりましたな」)

夜:ごはん、すき焼き風糸こんにゃく厚揚げ、もずく、田楽茄子、杏仁豆腐みたいなもの、漬物
(タローコメント 「特別メニューで鶏の唐揚ときんぴらごぼういただきました☆)

ということで、特別メニューのきんぴらごぼうは、前日に、私の手製を届けておいたもの。
鶏の唐揚は、「シャバっぽいものが食べたい」という彼の希望に添って、
スーパーのお惣菜を差し入れした。
2個ずつわけて、私は「冷えてるし固いし、たいしたことないなー」と思ったが、
「うまい・・・」と万感の思いのこもった夫の感想には、涙をそそられるものがありました(嘘)。

15時前に病院に着いて、それから20時までの5時間といえば、
見舞いというにはやはり結構な長い時間を過ごしていることになるのだろうが、
実際は、あっという間に面会時間の終了はやってくる。

その間というのは、いまだ入浴許可の下りないかわいそうな体を拭いてやったり、
夕方、彼の会社の同期がお見舞いに来てくれたり、
昼寝(夕寝)したり、近くの書店で今日発売の文庫本を買ったり、
一緒に夕飯をとるために、コンビニで自分の食べる分を仕入れたりなど、
まあちょこちょこ動いてもいるものの、
単にだらだらしょうもない話をしているだけでも、意外にどんどん過ぎていくのだった。
この、「特に何をしなくても間がもつ」感じ、
よく言えば居心地の良さ・・・悪くいえば緊張感のなさ?が、
いかにも家族らしいな。や、いいことだと思ってます。

病院では、ついぞ話題になることもなく、
「じゃーねー」と別れてから互いに思い出したのだが、
今日は私たちの入籍記念日なのだった。

1年前の4月5日は土曜日。
式場となったホテルに所用で出向いた後、
中央区役所に寄って、役所の休日なので、通用口の用務員のおじいちゃんに婚姻届を提出した。
既にその2ヶ月前から一緒に住んではいたのだが、
その夜、入籍祝いと銘打って(銘打っただけで、一緒に酒を飲むのは早くも週末恒例となっていたが)、
高くもないワインなんかを飲んでるうちに、
「あー、これで名実ともに、あたしは彼の妻になったのだな。」とかなんとかで胸いっぱいになって、
酔っぱらいの泣き上戸と化した私だった・・・。

私たちは割と記念日には敏感で、
というのも、それを口実に美酒美食を貪りたいという一心で結びついているだけなのだが、
ほんの1ヶ月も前には、ふたりして、
「入籍記念日、どうしようか? どっかに食べに行く? 家でパーッとやるか?」
などと楽しい計画に頭を悩ませていたものだ。

この日を迎えてみれば、
夫は、居酒屋がずらっと並ぶ通りに面した病室で、
酔客が騒ぐ模様を聞きながら豆腐ハンバーグだなんだと異様にローカロリーの食事に終始し、
私は、ひとりになると、常よりさらに料理意欲も減退して、
適当なつまみと発泡酒でお茶を濁す(お茶じゃないけど)というのが現実で、
人生なんて、ほんとにわかんないもんですね。

でも、まあ、ありがたいことに生死をさまようような病状でもないし、
今は今なりに平和だし、
少なくとも私のほうは、1年前よりももっと夫をかわいく思うことができてるってのは、
とても幸せなことなのでしょう。

何をどう解釈されたのかは謎だが、
夫は看護婦さんに「奥さんと仲良しなんですねー」と言われたらしく、
そんな話を実家の母親にしてみたらば、
「あたりまえやないね。ノリカさんと陣内さんじゃあるまいし、
 たった1年で仲悪くなっとったら、こっちもたまわんわ。」
と、ばっさり切って捨てられた。

ま、夫婦生活の大先輩からすれば、
まだまだオママゴトのようにかわゆい、ヒヨッコの私たちよね。


さて、家に帰って、明日のお弁当のおかずを作り、
録画していた「天地人」を見る。

このドラマに対するハードルは、
既に自分としては、古今の大河ドラマの中でも例を見ないほど低くなって久しいわけで、
「もはや、突っ込むために見てます。でも、まがりなりにも伝統ある大河なんだから、
 1話にひとつくらいは、宝石のようなシーン、役者の芝居があるかも」
なーんて惰性で見続けていますよ。

今日で2回目の登場となった、武田勝頼役の市川笑也さんは、
猿之助一座のスーパー歌舞伎で女形として活躍されてる方で、
私は歌舞伎では見たことないんだけど、wikiを見ると「もう49才なのか・・・・!」とびっくり。

私と笑也さんの出会い(出会ってないけど)は、
なんと、もう20年近くも前に遡るのでありますよ。

「日本ファンタジーノベル大賞」なる文学賞が新潮社の後援で創設され、
その第1回受賞作となった『後宮小説』(酒見賢一)がアニメ化となったのが1990年。
『雲のように風のように』という題で地上波で放送されたのを、
私は偶然に見てすっかり魅了され、
乏しいお小遣いで原作小説も買って、
(そのころから既に、好きになったら一直線に突き進む性格だったのね・・・)
今でも大事にエミ文庫の1冊として祀っている(?)のだが、
そのとき、主人公・銀河の夫となった皇帝・コリューンの声を演じたのが、
若き日の市川笑也さんでありました。

はっきり言って大根ぽいといいますか、すんごい棒っぽい市川さんの声演技だったのですが、
近藤勝也さんがアニメーターを担当したので、
どこかスタジオジブリっぽい画像となったこの作品では、
「となりのトトロ」でお父さんを演じた糸井重里のように、
しろうとっぽい素朴さの笑也さんの声は、妙にしっくりきてて、今でもよく覚えてます。

アニメはゴールデンタイムに放送されたため、
子どもが楽しめる作品に仕上がっていたが、
原作はタイトルからして『後宮小説』とくれば、
娘が買ってきた本を見た我が親は、
「これって小学生女子が読むような本なワケ・・・?」と眉をひそめていたが、
その危惧は今にして思えばもっともなもので、
この小説は、
『腹上死であった、と記載されている。』
という、身もふたもない書き出しに始まるのである。

続いて、

「天子様は後宮で亡くなられたらしい」
「お好きな方でいらっしゃったからなあ。ありえないことではないな」
「とすれば、それは畏れながら、房事の最中に違いあるまい」
「そうかもなぁ。場所が場所だからなぁ」
「とすればだ。奇麗な夫人の上であったろうことは疑いない」
「いや、おそれおおいことだが、下であったかもしれん」
「なるほど、そうかもしれないが、そうに違いなくもあるな」
「お好きな方だったからなぁ」
「本当に・・・」

と、下世話極まりない会話でこの小説は続いていくのであって、
私の両親が全くもって読書に興味のない人種だから良かったようなものの、
最初の2ページでも読んでいたら、
12歳の娘がこんな小説を読み進んでいくのを、張り倒してでも阻止したに相違ない。

しかし読んだ本人(私)といえば、その頃はもちろん性のイロハの知識すらないので、
その後も延々と(しかし淡々と)続くシモの描写に特にドギマギすることもなく、
ただ、詳細を理解する能力はなくとも、
子どもならではの小さな視点から俯瞰して、
「これはアニメよりも、断然大きく奥深い、大人の世界を描いた作品なのだな。」
と、一国の衰亡を描くというスケール感と、それに比して下世話なディテールに、
ただただ感心していたのであった。

この小説は、30歳になる今日まで、もうかなり読み返してるんだけど、
1,2年おきに読むたびに、心も体も(?笑)大人になっていく自分と相まって、
新たな発見があるんですよー。
つい先週も、結婚して以来はじめて読み返したばかりです。

しかし、これを書いたとき、酒見賢一氏は20代の若さだったわけよね。
どんな世界でも、モノになる人って、器が違うなあ。
超大作になりそうなので、まとまった分量になってから読み始めようと思っていた
「陋巷に在り」のシリーズも、いつの間にか完結しているようだし、
これは近いうちに、手をつけなければいけませんね。

ちなみに、このアニメ、主人公の銀河の声をあてたのは、
今は芸能界からすっぱり身を引いた、武豊騎手の奥様たる佐野量子さんだったはず。
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by emit9024 | 2009-04-06 00:36

つまるところ、私たちは共犯者どうしなのだ

トイレ・洗面など、必要最低限以外は絶対安静を言い渡されている夫。
まだ2日目だからいいけど、ゆくゆくはヒマ対策がもっとも重要な課題になるのかな、
という気がしている。
その一環というわけでもないけれど、「食事内容を都度メールするように。」
と申し付けておいたところ、さっそく3度、きちんと届いた。いい子だ。

<<今日の病院食>>

朝:ごはん、玉葱と南瓜の味噌汁、牛肉と白菜の煮物、漬物、のり
昼:ごはん、吸い物、塩さば、きゅうりとマロニーの酢の物、ヤクルト、たくわん
夜:ごはん、ロールキャベツ、ごぼうサラダ、ほうれん草と卵の炒め物、漬物、マドレーヌみたいなやつ

あたりまえですけど、私なんかの食事よりも数段、栄養価に優れ、かつヘルシーですよね。

ちなみに私の今日の食事

朝:バターロール
昼:会社近所の弁当屋の弁当
 (ごはん、和風おろしだれカツ、厚揚げとフキの煮物、ほうれん草胡麻和え、マーボーナス)
夜:焼鮭、コンニャクとニンジンのピリ辛煮、きんぴらごぼう、発泡酒×2


さて・・・・。

昨日の日記で、「ちょっと泣きそうになった」なんて書いたけど、
病院でいちばん涙腺がゆるんだのは、手術が終わるのを待っている間の読書でした。

糸井重里事務所によるHP『ほぼ日刊イトイ新聞』の人気コーナー、
糸井重里・樋口可南子夫妻の家で一緒に暮らしている犬のブイヨンちゃんの写真日記、
「ブイヨンの気持ち(未完)」が、満を持して、刊行されましてね。
ブイちゃんの大ファンたるわたくし、さっそく、ほぼ日通販で購入したのですよ。

刊行に際して、ブイヨンにまつわるエッセイを糸井重里が8本くらい?書き下ろしてるんですけど、
そのひとつひとつが愛情にあふれてて・・・。
それは、直接的にはブイヨンに対する愛情を綴ったものなんだけど、
犬と一緒に暮らすってこと、引いては、生きとし生けるものに対する愛情、
みたいなものが感じられるんですよ。

こういうのは、明らかに著作権の侵害なんだろうけど、
いつものことですが、ネットという大海の隅っこにある小島に過ぎない、
アクセス数もわずかな私のブログですので、
思い切って、エッセイのひとつ、全文掲載しちゃうぜ。


『犬がぼくらを咬まないということ、
 そして、犬がものを言わないということ』

犬とボールなどで遊んでいるときに、
興奮した犬の歯と、自分の指がぶつかってしまうことが
たまにありました。
ほんのちょっとしか触れなくても、
ぼくの指は、その衝突を感じとりますし、
犬の歯も、同じようにそれを察知します。

その瞬間から、犬は、いままでのはしゃぎぶりを忘れ、
ぼくから目をそらし、少し離れたところに立って、
じっと許されるのを待っています。

ぼくは、それほど厳しく躾けたおぼえはないのです。
しかし、犬の歯が人間を傷つけることがあったら、
犬と人との関係は、とても難しいものになることは、
よくわかります。
ぼくだけでなく、犬のほうもわかっているらしい。
人を咬もうとして咬んだわけでなくても、
犬は、それがいけないことだと知っているようです。

あの、叱られるのを覚悟したときの静けさは、
逆に、ぼくの父親な部分を強く刺激します。
「さぁ、いまあったことは忘れて、
 もう一度ふざけようぜ。」と言って、
元気を戻してやることになります。

これは、ぼくと、うちの犬との間の話なのですが、
ぼくらの祖先たちと、犬の祖先たちとが、
長い長い時間をかけて築いてきた友好の関係が、
こんなときに見えるような気がするんです。

犬と暮らしていて、
ぐっと愛情が深まったような気がするのは、
「犬がものを言わなかった」ときです。

なにか誤解されても、強く訴えない。
手助けが欲しいときでも、じっと黙って待っている。
・・・・・・なんてことがあると、
犬が言わなかった分まで、
人間がわかってやらなければと、
強く思うようになります。
たぶん、人間と人間のコミュニケーションにも、
そんなふうなところがあって、
「ものを言わないこと」の価値は、
「じょうずにものを言う」よりも、
深いところで相手に伝わるように思います。


「ほぼ日」=ほぼ毎日、更新されるブイちゃんの生き生きした写真日記を、
もう1年以上も見ているので、ブイちゃんがかわいくて仕方ない私は、
このエッセイに書かれたブイちゃんの、殊勝な、しんとした姿を
まざまざと脳裏に思い描いてしまって、いじらしさに涙が出そうになったのです。

そして、これは、一見、全然関係ない話みたいだけど、
これを読んだとき、ブイちゃんの姿と同時に、何かぼんやりと、でも確かに、
夫のこと、私の彼に対する気持ちが浮かんできたのですよねえ。

そしてゆうべ寝る前に、夫不在のため、ひろびろとしたベッドに横になって、
この本をぱらぱらとめくり、このエッセイをもう一度読んだとき、
アルコール(=発泡酒)が、疲れた体に効いてたのかもしれないけど、やっぱり涙が。
誰に憚る必要もない時と場所だったので、けっこう盛大に泣いた。

だって、涙が出ちゃう。女の子だもん。
と、古くは鮎川こずえ(だっけ?)も呟いているとおり、女に涙はつきものですよね。
というか、オンナって、泣いて浄化するみたいなとこ、あるけんね。
あ、関係ないけど、アイブサキさんがやってるOCNのCM,
アタックナンバー1の実写化は秀逸ですよね。

私と夫は、まだまだ新婚さんだからってわけもあるでしょうが、
ふだんから、つまることつまらないこと会話しまくりだし、
腹蔵ない会話あってこその人間関係、夫婦関係だと思ってる。
でも、人間関係って当然、それは夫婦関係であっても、だからこそだったりするけど、
いちいち言葉にしなかったり、あえて言葉にしないことも、たくさんある。

このエッセイ読んで、
入院する前の日、
「もうこういうこともしばらくないさねぇ」なんて、
いつものように寝る前にいろいろ話してるときに出た、
夫の言葉のいくつかや、その日、病院でも交わしたことば。
家族らしい素っ気なさと、入院っていう非日常による特別な雰囲気とが、
ないまぜになった会話を思い出した。

そして、同時に、言葉にはしなかったけど、一緒にいて感じられた夫のたたずまい、
それで感じた、私も言葉にしなかった気持ちなんかが、
ばばばーっと非言語で頭を流れて、しかもアルコールINだし、
なんかすごく、どばーっと感情メーターが振り切れてしまったのでしょう。

私と夫とは人間どうしなので、いろんな言葉を交わすけど、
「もの言うこと」「言わないこと、なんとなく言えないこと」の両方から、
いろんなことをお互いに感じとる部分、そして感じ取れない部分の両方があって、
そのことが、とても切なく、だからこそ愛おしいことのように思った。
なんとなく。


それにしても、こともあろうに腰の骨に菌が入り込んで繁殖を始める、だなんていう、
いっぷう変わった病気に何でかかってしまったのか?
というのが、現状を知る周囲みんなの疑問であるわけだが、
これについては、私と夫の間では、ある共通見解がある。

でも、それは、もっとも心配しているだろう、私たちの両親にも言わないの。
当分、ふたりの秘密だ。
まさに夫婦は一心同体なのだ。
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by emit9024 | 2009-04-04 00:33

私には幸せの記録なのです

3月に読んだ本の記録。
相変わらず、いかに引きこもってるかがわかる読書量では、あります。
仕事のほかには、飲むか読むか走るか、しか、してないんですね。基本。

●『家、家にあらず』 (松井今朝子)
冒頭から釘づけになりドキドキしながら一気に読んだ。時代小説であり殺人事件ミステリーであり青春小説でもある。時代考証のしっかりした時代小説はいいなあ。それにしてもこの小説の惜しむらくは、タイトルでは? 読み終わると確かに、「なるほど。」と分かるんだけど、このタイトルでは、獲得できるはずの読者も逃すことになってしまうんじゃないかと思う。来月は、日記エッセイ『今朝子の晩ごはん』の第3弾の刊行に、直木賞受賞作『吉原手引草』の文庫化と、今朝子さん月間になりそうだ。

●『にょっ記』 (穂村弘)
読書好きの方のブログなどで時折その名を見かけて気になっていた。文庫新刊コーナーにかわいい表紙が平積みされていたので思わず手に取る。この人、なんなの? 面白い。これは読書好きの人でなくてもまるでネタ集のようにサラサラ読めます。

●『尻啖え孫市 上』 
 『尻啖え孫市 下』 (司馬遼太郎)
「竜馬がゆく」「燃えよ剣」「新撰組血風録」「国盗り物語」など、主に学生時代を中心にいろいろ読んできた司馬作品だけど、未読もまだまだあるのです。信長や秀吉の人物造形、二人の関係などがとても面白く、さすがの司馬クオリティでした。エロい場面がユーモラスで下品じゃなくていいのよね。

●『春秋山伏記』 (藤沢周平)
藤沢周平は司馬さんよりも大好きなぐらいなんだけど、こちらも未読はまだまだある。そして司馬さんと同じく、もう永遠に新作が出ることはないけど、人気は衰えず絶版になる心配もないので、折に触れて時々求め、大事に買い集めることができます。かなりかなりステキな小説! 地の文も、会話文も(この小説は、藤沢さんの故郷である庄内地方の古い方言で会話が書かれている)なんてお上手なんでしょう! 大鷲坊さんかっこいい! 読んでる間じゅう幸せで、読み終わると感動がじんわりと広がる。ちなみに、藤沢さんの性の描き方も、すごく人間味があって好き。現代小説ではエロいシーンに辟易することの多い私だが、なんだろうね、やっぱり現代が舞台だと生々しすぎるんでしょうか。 

●『ひょうたん』 (宇江佐真理)
特に「伊三次シリーズ」が大好きで愛読している宇江佐さんの小説なんだけど、藤沢周平の直後に読むと、宇江佐さんですら「拙い・・・」と思えてしまってびっくりした。執筆意欲が旺盛なのか、原稿依頼を断れないのか、割と多作な作家さんだと思うけど、伊三次シリーズと単発の作品とのレベルの差がありすぎるようにかねがね思っていた。確かに、安心して読めるクオリティではあるんだけど、あとに残るものが・・・。

●『日本の歴史を読みなおす(全)』 (網野善彦) ※再読
日本中世の歴史家として異色の存在だという網野さんが、大学生くらいに向けて書いた本。講義のような語り口で読みやすく、その内容は画期的で瞠目します。ぜひ、たくさんの人に読んで欲しい! 読後、ちょっと調べて知ったんだけど、アカデミックな世界では臭いものにフタ的な扱いをされてるというか、修論以上の論文では、引用を避けるようにすら言われたりするんだって。なんかショック。百姓や女性、被差別民の発生、銭というものの価値の推移など、真の姿が炙り出されてると思うんだけどなあー。最後のほうで、歴史を研究することが、未来とどう繋がるか?ってことについて述べられた文章は、希望にみちていて、若者ならずとも大いに励まされる。

●『ランドマーク』 (吉田修一)
25歳くらいのときに、もう大好きでたまらなかった吉田さん。新進気鋭の芥川賞作家だったあの頃の彼は、それからたくさんの作品を発表し、でも私は彼の作品とはいつからか距離を置くようになっている。常に苛立ちや不安を鋭すぎる筆致で描き出す彼の小説に、リアルに共感できない年齢や環境になってしまったんだろう。でも、時々読みたくなるのよね。あまりに上手い小説だからかなあ。これも例に違わず、最初から不穏な空気にみちあふれていて、すごく「読ませる」力がある本だった。読み応えあった。読み終わってしばらく茫然とした。

●『第3の人生のはじまり』 (銀色夏生)
 『子どもとの暮らしと会話』 (銀色夏生)
つれづれノート復活! 第15弾! 銀色さんて真の自由人だ。そして、このシリーズが始まった頃には、影も形もなかった彼女の娘、カンちゃんは、なんと高校生になったのだが、彼女の自由人っぷりも驚嘆。凡人では、ついていけません。常識人の方々にはひどく批判されてもいる、いまだ現在進行形の彼女の人生だが、誰がなんといおうと銀色さんは自由に生き続けるだろうし、それを読み続けるかどうかだけが読み手側の問題。私も、若干引いちゃうところもあるけど、やっぱり魅力的な、15年来の日記エッセイだ。

●『辺境・近況』(村上春樹) ※再読
メキシコやノモンハン、震災後の神戸を旅して書かれた旅行エッセイ。もう10年以上前の刊行だと思うが、あらためてこれを読むと、村上春樹がエルサレムにおいて、かのようなスピーチをするに至ったことも、じゅうぶん頷ける気がする。戦争や震災が、どのように個人を破壊するか、それがどんなに許せないことか。個人の尊厳について、彼がどれだけセンシティブか、ってことがよくわかる。「ノルウェイの森」や「海辺のカフカ」を読んでもピンとこない人(私もきっとそうです。未読だけど)や、いわゆるハルキスト的な年代よりもずっと年上の人にも、これは読んで欲しいなって思う。

●『小泉今日子の半径100m』 (小泉今日子) ※再読
キョンちゃんが36歳くらいのときから3年間にわたって雑誌で連載したエッセイの文庫化。ちょうど私がキョンちゃんを大好きになったのがこのころだと思う。自然体、って言葉は既に手垢がついててむしろ薄っぺらくすら聞こえますが、超人気アイドルから出発して20年という年月は、一般人には想像もつかないものだったろうに、彼女は見事に自然に大人の女になり、演技が上手くなったのはもちろん、かわいさもオーラも失わないで今や四十路に。そんなキョンちゃんの魅力を余すところなく伝えるエッセイ。写真も豊富でオトクです!

●『ほぼ日刊イトイ新聞の本』 (糸井重里)※再読
糸井さんのあまりのポジティブさかげんが、25才くらい(ちょうど、吉田修一にハマってた頃ね)の私にはどうにも受け容れることができなかったんだけど、不思議よねえ。今は、「ほぼ日刊イトイ新聞」サイトの、糸井さんに釣られて前向きな人たちがどんどん集まってくるあの感じが、とても心地よく、頼もしく思えたりするんだよね。この本も、仕事や生活に疲れたり飽き飽きしたりしてる気持ちを、ひょいっと持ち上げてくれるような感じがする。それに、糸井さんて、あのサイトで見るよりも、やっぱりどこかすごく冷静に物事を見てる、クレバーな人なんだなって思う。

●『父と娘の往復書簡』 (松本幸四郎 松たか子)
好きなんですよ、松たか子。恐るべき才能の持ち主。最近はあまりテレビで見かけることはないけど、活動の中心である舞台におけるの演技の評価は、舞台関係者やファンの間でも上々のようだ。ぜひ福岡にも来て欲しいものです。この往復書簡では、見事な文才も発揮してるけど、文章は編集者の手入れもあるにしても、その考え方・感じ方っていうのは、やはりその辺の30歳女子とはわけが違うなって感嘆。幸四郎さんとの親子関係も何だかステキです。

●『三谷幸喜のありふれた生活8 マジック・デイズ』
愛読しているシリーズの最新刊。あんだけ仕事してるのに、よくもまあ毎週書き続けられるものですよね。(2000年から毎日新聞で週刊連載しているもの)。自分の情けなさ、凡々さ、家族(妻、小林聡美とワンコ、ニャンコたち)との日々や、俳優さんやスタッフの素晴らしさやなんかが書かれてるんだけど、彼の脚本や演出と同じく、ユーモラスなんだけどほんとに上品で、素晴らしい人だなって思う。それにしても私は、ユーモアがあって、かつ、品がある人が好きなんですね。。。。自分にないからか。。。
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by emit9024 | 2009-03-29 01:03

母、おおいに感動す

帰宅して気づいた。19時前、携帯電話に母親からの着信履歴があった。
母とは特段の用事がなくても、1週間に1,2回は電話で話している。基本は土日で、余裕があるときは平日も話すが、共働き夫婦の夜は忙しかろう、と(主に夫に)遠慮して、平日夜に母のほうから電話がかかってくることはあまりない。

何かあったのかな、と一抹の不安を覚えながらコールバックすると、
「あ、エミさーん? 今日ね、見に行ってきたよ、『おくりびと』!!」
と元気そのものの声が。相変わらずミーハーな様子、うれしいよ・・・。

65歳の母は、シルバー割引なる特典によりいつでもどこでも1,000円ぽっきりで映画を見られるらしく、私なんかよりよっぽど、普段から上映中の作品チェックに余念がない。『おくりびと』のことは本上映期間から目をつけていたらしいが見に行くタイミングがなく、日本アカデミー賞を総ナメにしたので日曜日の私との電話でも話題に上がっていたのだが、週明け、本場(?)のアカデミー賞までも受賞してニュースでも盛んに取り上げられたのに触発されて、近く(といっても徒歩1時間くらいはかかる)の大型ショッピングセンター内にあるシネコンで再上映されているのを目ざとく発見し、さっそく鑑賞したとのこと。ちなみに私は未見だ。

「もうねー、すっごく良かったよー。納棺師さんの話とはいっても、聞いてたとおり、笑いもたくさんあってねー。始まってそうそう、ププッて笑っちゃった。あ、来月にはもうDVDになるらしいけん、アンタも見るやろ? あんまりペラペラ喋ったらいかんね。でね、モックンの、あの仕事の作法?もうすっごく上手やったよ、やっぱり。たいしたもんやねー」

「山崎努も良かったんやない?」

「そりゃもう、あの人はもう大ベテランやもん、そりゃ良かったよ。さすがやね。何しても上手いもんね。あと、『天地人』で秀吉やりよう人おるやろ? あの人も出とった。あの人がまた上手いもんね~。あ、余貴美子だっけ?あの人も良かった」

「あの人も、日本アカデミー賞で最優秀助演女優賞とったげなさ」

「ああー、そうやろう、そうやろう。うンまいもんねー、あの人。そいとね、あの人も出とった。岸田今日子さんと3人で仲のいいおばちゃん連中おるやろ? ほら・・・」

「冨士真奈美? 吉行和子?」

「そ、そ、吉行和子よ。あの人も出とった。弁当屋のおばちゃん役でね。ね、けっこう、そうそうたるメンバーやろ? でもやっぱりモックン良かったねー、あの、きれ~な納棺師のしぐさがね。あんなにきれいに送られたら良かねーって思った」

「山形やったっけ、舞台。映像、綺麗らしいね」

「そ、そ、雪のシーンとかあってねー。やっぱりあの辺はまだ、お葬式でもあげんなふうに、ちゃーんと、きちーんと、しよんしゃぁっちゃろうね。あ、でも、ヒロスエさんはイマイチ、、、」

「あ、そうなん? あの人だけ(日本アカデミー賞で)賞とれんかったもんね、かわいそうに」

「優しーい奥さん役で、途中まで良かったんやけどねー。うーん、お母さんとしては、最後、あらーって感じやったわ。ま、あれはヒロスエさんが悪いんやなくて、脚本っていうとかいな? そのせいで、良う見えんかったんやろうね。あっ、あんまり詳しく言うと悪いけん、言わんね。まぁ、見たらアンタにもわかろうけん」

「ははは、そうねー。」

「もうほんとねー、全然、暗くないとよ(註:母は暗い映画が嫌い)。笑えるとこがいっぱいあるとよ。んふふっ。いま思い出しても笑えてくるわ。あ、エミにはナイショにしとかないかんよね。でもねー、泣けるとこもあると。お母さん、最後ぼろぼろ泣いたわー。終わってからトイレで鏡見たら、顔がおサルさんみたいに真っ赤になっとった」

ぷっ。
興奮冷めやらぬ様子の母であった。

娘(私のお姉ちゃんね)と一緒に行ったのかと思いきや、「ん?一人で行ったさぁ」と飄々としている。
なんせ再上映なので、1日2回しかやってないらしく、姉からは遅い夕方からの回に誘われていたが、父親の夕食のしたくなどあるので母は夕方は都合が悪く、しかし姉は仕事の関係で午前中の回には行けないのだった。

かといって、ひとりでもくもくと出向いて見て帰ってくるわけではなく、そのショッピングセンターの和菓子売り場(?)で働くおばちゃんや、行き帰り(繰り返すが片道徒歩1時間くらいかかる)の花屋さんやらスーパーやらで顔なじみのおばちゃん、おばあちゃんたちと、かまびすしいお喋りを繰り返しながらの道のりだったらしい、いつものごとく。ええ、そのお喋りの内容についても、いろいろと聞かされました・・・。

それでも、やっぱり、感動(なのか・・・?)については、いち早く、娘に話したいんだろうねー。
なんかちょっと、きゅんとくる。

今でこそ、こうして母との電話も楽しく、他愛ない会話をできることがほんとにかけがえないな、って思うけど、10代の後半あたりでは、私、今思うとほんとに長い反抗期の中にいたよな・・・。

と、しみじみしたのは、最近読んだ日記エッセイ『第3の人生の始まり つれづれノート⑮』(銀色夏生 角川文庫)のせい。

筆者の娘、高校生になったカンちゃんが、反抗期(?)の只中にあり、小さな会話をかわすだけでも母娘お互い、どんだけストレスがたまるか、ってことを、これでもかって書いてある。そりゃもう、「こんなに微に入り細に入り書いてだいじょうぶなの?」てぐらいに。
とはいえ、15巻と銘打たれているとおり、15年以上にわたって書き続けられているもので、読者のほとんどは、私のようにカンちゃんが生まれる前からこのエッセイを読んでいるから、そこまでの違和感はないんだけどね。

読んでて、あー、あたしもこうだったんだろうなー、って思った。会話にならないぐらい、ギスギスすることがたくさんあったあのころ。親と私とは違う人間で、違う価値観や生活スタイルを持ってんだよ!ていう主張にとらわれてたから、母のひとつひとつの言葉や、大人として親として正論極まりないお説教も、いらいらしてしかたがなかった。お互いの言い分は永遠の平行線。

まあ、多くの子どもが通る道なので、親の宿命と言ってしまえばそうだけど、お母さん、よくぞ耐えてくれました・・・。ま、耐えるっていうか、普通にケンカしてたけどさ。そのころの親の痛みにも、今なら思いを馳せられるってもんです。

そんなわけで、母をこんなにも感激させてくれた『おくりびと』関係者には、感謝の念でいっぱいだ。DVDになったら、私ももちろん見ようと思います。あと、今日は夫が飲み会だったので、走りました。
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by emit9024 | 2009-02-24 22:30

エルサレム賞授賞式の春樹についてもう1件

まずは、件のスピーチ全文へのリンク。

・原文
・日本語訳(匿名さんによるものです)

日本の新聞社系のニュースサイトとかで全文掲載してるところ、なくないですかー?
ゆゆしきことだと思うんですが。
普段、天皇陛下の会見とか、小室てつやさんの裁判とかの記録も全掲載してるくせに!
私のサーフィンが下手なだけ?


全文を読むと、改めて巧みさに唸らされるし、
春樹の文体に馴染んだ者としては、大舞台にあっても親しみを感じるし、
同時に、「ほんっと、かなり突っ込んで喋ったな!」という思いも強くなります。

これだけの英語原稿を自分で書いて自分で喋るって、
さすが春樹だなーと思うけど、まあ、もともと、そういう人ですからね。
政治家さんなどと違ってこの人には当然スピーチライターなんていないし。
英米文学への深い造詣あっての、この人だし。
英文であってもまったく春樹らしさが損なわれないというか、
むしろだからこそ世界中の言語圏に読者がいるわけで。

遠い将来、春樹の全集みたいなのが発行されたりしたら、このスピーチもきっと収録されるんでしょうね。
これも立派な彼の「著作」だな。

衆目にさらされることを嫌うことで有名な彼が、
その著作の中にさえもなかなか見つけることの出来ない、
個人的・政治的(ともとれる)スタンスについて、このように世界中に注目される舞台で
ご本人がかなり明確に「喋って」るんだから、私ら読者にとっては不思議なもんです。


で、また「はてな」を始めとする熱いネット論壇も徘徊。

授賞式当日、速報(スピーチの抄訳)に接した際の感想は前のエントリの通りなんだけど、
いろんな人の意見を読むと、なるほど、と思うこともいろいろあったな。
みなさん、思考やロジック、文章がアカデミックというか、
私には難しくて一読では呑みこめないよー!てのもあったけど。


一般的に(とか書くけど、『一般的』の定義とかは詳細に吟味してませんよ、すみません)
あの講演は、おおむね好評を博したようです。
中川大臣の例の会見も同日に報じられたせいか、両者の印象を比較して、
「春樹さんは立派! よくぞ堂々と述べた! 日本人の誇り!」
というような意見も、多々見られました。
うん、無理もない。率直な感想だよね。同感です。


ただ、やっぱり読み過ごせないのは、
(以下、引用ともいえないほどに、どの意見もものすごく自己編集してます)

「あのスピーチが全世界に配信されたからといって、世界は何も変わらない」
というような意見だったりします。

そりゃまぁ当然そうだろ、あのスピーチで突然に世界平和が訪れたりしたら、
それこそ春樹は教祖様ってことになるでしょうが。
と、乱暴に考えれば考えられるところですが、そのように論じる理由として、

「あのスピーチがエルサレムのその場において聴衆に拍手された時点で、
 イスラエルの『寛容さ』が際立つという予定調和に終わっている」

と挙げられたら、考えさせられざるを得ません。
つまり、イスラエル側は、こういった、自国を弾劾されるスピーチをも想定して、受賞者を選んだ、と。
それをも受け容れる「言論の自由」をもってるんですよ我々は、と。
そういう文明国なんですよ、と。
あの国があれだけおおぜいを虐殺をしておきながら、そう主張する手だてのひとつが、この賞なのだ。
確かにそういわれると、深い無力感に打ちひしがれます。

(エルサレム賞の審査員(?)がどこまで政治と関わっているかは不勉強にして知らないけど、
 授賞式にイスラエルの大統領やエルサレム市長が出席し、賞状(?)を手渡してたのは事実。)

しかし、「賞を授けますよ」と公的に表明された立場である春樹さんとしては、

・受賞拒否して、沈黙する
・受賞拒否して、イスラエル弾劾(とも解釈できる)意見を表明する
・受賞して、何も言わない
・受賞して、受賞式の場でイスラエル弾劾(とも解釈できる)スピーチをする

大まかに言うとこれくらいの選択肢しかないわけで、
その中で最後者を選んだ春樹には当然、思うところがあったのだろう。
まあ、それがノーベル賞に対する布石とか、もっというと野心とか、
穿った見方はいくらでもできるとしても、
そういうのをひっくるめても、彼の「信念」が表出したのが、今回だと思う。

スピーチでも、「多くの人に反対されながら、なぜ私がここに来たか。」
ってことについて、言を割いてましたよね。


私たちは、彼の、誰かの、思うところを想像したり、
彼の言動に対して自由な感想を述べたりすることができる。

だけどもちろん、本件に興味すらない人だってたくさんいるし、
(それどころじゃない、っていうガザ地区で命の危険に晒されてる人たちも含めて)
春樹の本を読んだことないけどニュースで見ただけ人たち、
あるいは春樹を好きすぎる(?)人たちもいる。
その中には、「春樹すげーよ! おめでとう! かっこいー!」
で終わる人たちだってたくさんいる。

そういうのに対する、ネット上の意見(例によって自己編集済みですよ)。

「このスピーチにカタルシスを感じ、春樹を素晴らしいと評じ、
 しかしそこで思考停止して、3日も経てば忘れてしまう。
 それが一番、警戒すべきことだ。
 あのスピーチから、すべての人が自分の『実践』を始めるべきなのだ。」

うん。そう。そうだよね。ほんとにそうだ。
これ聞いて、感動して、ハイおしまい、じゃいけないんだ、って思う。

ただし、ネット論壇でも当然、指摘されているように、

「じゃあ実践って何?
 イスラエルを糾弾したって、マイクロソフトとかインテルとか入ってるパソコンで
 ブログ書いたりすること自体(わたし註:いわゆる『ユダヤ・ロビー』とかの話ですよね?)
 イスラエルに加担してるといえなくもないんだよ?」
とかって問題提起されると、もう、がんじがらめになって動けませんけど・・・


“壊れやすい卵”という我々ひとりひとり、イコール個人に対するものとして、
“高くて堅すぎる壁”イコール体制あるいはシステムというものを挙げ、
いつだって卵の側につくと言い切った春樹すら、
結局は、“壁”の中で、彼自身が“卵”として脆弱な発言をしたにすぎないのかもしれない。
この世にある限り、壁つまりシステム、制度から逃れること、
その一切とかかわりのないところで生きてくことはできないんだろう。

だけど“壁”を壊すのは生半可なことじゃないんだもんね。
壁の中で声を上げる、ていうのが、卵にできる最大のことかもしれない。
でも、それがなければ始まらない。


30年も前は、春樹も星の数ほどいる新人作家のひとりで、そのころには、
30年経ってこんなに大きな意味を求められる立場になるとは思いもよらなかっただろう。
彼の小説家人生は、その著作のセールスや影響力とは裏腹に、
地道で実直で、マスコミとは無縁の世界をできるだけ選んできたものだと思う。
それが、いつのまにかこんなところまで来て、今、あの場でああいったスピーチを行った。

彼を真摯な人間だと思うし、今回のことは、ほかのいろんな人の意見を読むこととともに、
私にとっては、ある意味、人生観を揺るがすような大きな出来事だった。
読む人にとっては、なんの論理性も感じられない、あるいはつぎはぎの記事かもしれないけど、
自分のその記憶のために、これからのために、ここにも記しておきたいと思います。


参考エントリ

下記以外にも、これらのトラックバック等を辿っていろいろ読みました。
例によって、直接のコメント欄やブックマークコメントにも注目。

・モジモジ君の日記。みたいな
村上春樹、エルサレム賞授賞式でイスラエルを批判
「村上春樹」を巡る政治

・関内関外日記
よくやったじゃねえか、村上春樹、よくやったぜお前!そして打順は巡ってくるんだぜ、俺、世界!
村上春樹の件について、なんかどうも手放しでよろこべない理由を考えてみたんだ

・planet カラダン
洋上のスピーチタイム

・琥珀色の戯言
「わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか」

・過ぎ去ろうとしない過去
「永遠の嘘」を構成する者


追記
春樹さんも今や、60歳か。映像を見ると、大ファンとかではない私ですら、
さすがに年を経られた様子に感慨を覚える。
でも、きゅんとくる。お元気そうでとても嬉しい。
海辺のカフカもねじまき鳥クロニクルもアンダーグラウンドも読んでないしこれからも読まないかもしれないけど、やっぱり、なんだかんだで春樹さん好きだー、って立脚点で、書いてることは間違いないっす。
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by emit9024 | 2009-02-18 21:35

春樹、エルサレムで講演す

朝の時点では『夜は短し歩けよ乙女』(森見登美彦 角川文庫)についての感想を昨日に続いて追記しようかと思っていたんだけど、やっぱり今日はこれについて書いとかなきゃって気持ちの私です。

『村上春樹 エルサレム賞授賞式で記念講演』
(以下は産経新聞ニュースサイトの抄訳です)


一、イスラエルの(パレスチナ自治区)ガザ攻撃では多くの非武装市民を含む1000人以上が命を落とした。受賞に来ることで、圧倒的な軍事力を使う政策を支持する印象を与えかねないと思ったが、欠席して何も言わないより話すことを選んだ。

一、わたしが小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のことだ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか。

一、高い壁とは戦車だったりロケット弾、白リン弾だったりする。卵は非武装の民間人で、押しつぶされ、撃たれる。

一、さらに深い意味がある。わたしたち一人一人は卵であり、壊れやすい殻に入った独自の精神を持ち、壁に直面している。壁の名前は、制度である。制度はわたしたちを守るはずのものだが、時に自己増殖してわたしたちを殺し、わたしたちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる。

一、壁はあまりに高く、強大に見えてわたしたちは希望を失いがちだ。しかし、わたしたち一人一人は、制度にはない、生きた精神を持っている。制度がわたしたちを利用し、増殖するのを許してはならない。制度がわたしたちをつくったのでなく、わたしたちが制度をつくったのだ。


全文を掲載しているwebはまだないみたいですね。
彼が実際に発した英語のスピーチをもうちょっと詳しく引いてるサイトがあって、
それを読んだ感じでは、この抄訳よりももっと「村上春樹」らしかった。
いかにもスマートでナイーブで、小憎らしいほどクールかつシニカル。
もちろん同時に、隠喩は示唆に富み、単語のひとつひとつ、文章の連なり、
声に出して読んだ感じの響きにいたるまで、目配りし尽くしてるな、と感じた。

(とはいっても、私の英文読解力といったら、
 今や大学生よりさらに落ちるくらいのレベルだろうけどね・・・)

イスラエルの文学賞であればなおさら、
記録どころか後世に残る歴史としてすら残るスピーチになってもおかしくないものだろうから、
言葉を操るのを業とする作家としてこの賞を受けた以上、
(春樹は、意見を表明するにあたって、
 『I have a come as a novelist, that is - a spinner of lies』なんて言いまわしで始めてますね)
よくよく推敲された全文であることは疑いもない。

しかし、ネットやテレビ・新聞は言うに及ばず、人々の口の端にのぼる場合でも、
抄訳よりもさらに短い「抜き出された」フレーズが
独り歩きすることをも十二分に見越した、周到なスピーチだと思う。

 「高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵。
  自分は常に卵のがわに立つ。壁のがわに立つ小説家に、何の意味があろうか?」

うーん、うまいね。さすが春樹。
や、ナナメに構えて言ってるわけじゃないんだよ。

私がこれまでに読んだ春樹の著作群。
『風の歌を聴け』
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』
『やがて悲しき外国語』
『辺境・近境』『遠い太鼓』『シドニー!』
『走ることについて語るときに僕の語ること』
あとは、村上朝日堂シリーズを始めとする、お気楽な(?)エッセイなど。
決して多くない。海辺のカフカもねじまき鳥クロニクルも、アンダーグラウンドも読んでない。

そんなつまみ食いの私にとっても、
このスピーチ(の抄訳)における彼の立脚点は、彼に対する印象をまったく修正させなかった。
いかにも春樹さんらしいなー、と思った。
というかむしろ正直なところ、抄訳を読んだとき、ぐっと熱い気持ちがこみあげたもん。

いわんや、真性のハルキストたち(揶揄じゃないよ)はさぞかし感激し、
デタッチメントに始まった彼の文学をここまで追い続けて来た人などは、
「春樹、ここまで言うようになったか・・・・」ていう感慨に堪えなかったりするんだろう。

一方で、
「“あの”村上春樹がここまで踏み込んだ発言をするとは」
と驚きをもって受け止める人々も少なくないだろうし、
このスピーチで初めて彼の言葉に触れた人々は、
「なんか骨のある奴じゃないの」
という印象をもったりするんだろう。

なんか、ほんとに、つくづくねー、さすが、春樹ともなると違うね!て感じるんだけども。

でも、どこの誰にどんな受け止められ方をされようとも、春樹さん自身は
「これは欺瞞じゃない、僕の、真摯な、真実の言葉だ」
って胸を張って(彼は胸を張ったりしなさそうだが)言えるんだろうな、
って思える。思わせる。

だからこそ、このスピーチの価値、この受賞の価値というのは間違いなくあって、
それは春樹自身の輝かしいキャリアのひとつになるのかもしれないけど、
世界じゅうにとって意味のあることなんじゃないかな、って思った。
おのれの栄光のためだけに、このスピーチをしたわけじゃないんだろうと思う、春樹さんは。

「We must not let the system control us - create who we are.
 It is we who created the system.」

あ、そうだ、you tubeなんか見たら、動画がupされてたりするんかな。
春樹の講演なんて見られるの、そもそもレアだよね。
どーせ英語だから聞いたそばから理解できるなんてこたぁないけど、
日本語でスピーチしたなんて、(芥川賞受賞以来?)ついぞ耳にしたこともないし、
これからも日本では絶対しそうにないからなー。
あー私、野次馬感覚も、結局、否めないなー。
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by emit9024 | 2009-02-16 21:45

週末の廃人が吠えますよ

●13日(金)
仕事のあと、飲み会。しかも焼肉飲み会!
明日は休みであることだし、腰を据えての長期戦をも辞さない覚悟(?)だったが、予想に反し、諸事情のため早々に散会となってまっすぐ帰宅。それを見越してのんびりと飲んで帰ってきた夫、「なんで居るの~?」とびっくり。こんなことを繰り返している我々である。お互いにほろ酔いでDVDなど見返しながらひとしきり騒いで寝る。

●14日(土)
夫、仕事へ。私は惰眠を貪ったあと、週末恒例(週末しかしていない・・・?)の掃除に精を出し、買出しにゆき、おうちでせっせと調理。6時半帰宅した夫がそれを素早くタッパーに詰めて、徒歩2分のみなみ亭へ。といってもみなみくんは出張(視察=たなかまさん曰く「inspection」)で不在、その隙を縫ったわけではないが、ママとベビーが残されたみなみ家を賑やかしに、うちらとたなかまさんたちで参上。おのおの酒と料理を持ち寄っての砕けた宴会と相成りました。いやー、料理上手のお酒好きが集まると、かなり充実した晩餐になるね! それぞれの家庭の味を味わえるのは外食とはまた違った楽しみ方だ。ちなみに我が家からは、NHK出版の「きょうの料理ビギナーズ」今月号のメニューより、できる限りレシピに忠実に再現した肉野菜料理2種をお持ちしましたけどね。昨今、価格高騰中のエリンギを廉価の白舞茸で代用したのが唯一の創意工夫(違)というマニュアル人間っぷり。30歳のわたくし、いつまでビギナーズ誌を愛読するのであろうか・・・・。でも美味しかった。よね?

●15日(日)
おなじみの週末廃人ぶりを発揮。先日手に入れていた『信長の棺』(加藤廣 文春文庫)は既に読み終わっていたのだが、興味深いシーンをつらつらと再読。あれだけ有名でありながら今なお謎の多い桶狭間の合戦・本能寺の変という信長関係の2大事件にまつわる本格歴史ミステリー。信長の忠実な犬(猿か・・・)であった秀吉と、時の帝・正親町天皇の朝廷の重臣であった近衛前久が黒幕であるという見方は、かつて安部龍太郎が新聞連載していた作品(名前忘れた)においても披露したように、昨今の定説のひとつにもなっているのだが、安土城の細密な構造や、当時の日本における暦の混乱を統一しようとした信長の為政者たらんとする姿が明らかになる過程はぞくぞくするほど面白かった。ラストでついに発見される信長の真の墓所においてのエピソードも、彼の「天下布武」という崇高な志をもった英雄であるという面、しかしそのために大量の無辜の民をも屠り続けたという「人道に対する大罪人」たる面とが、両方ともに後世の読者の胸に迫ってくるもので、私としては大変満足した読書だった。筆者の加藤廣はもともと高名な経済学者だったそうだが、70歳を過ぎた2005年、この処女小説を上梓し、本書を受けてさらに『秀吉の枷』『明智左馬助の恋』という作品を書いて3部作としているらしい。続く2作はまだ単行本のみの刊行なので、文庫化を楽しみに待ちたいと思います。

さて、その後は同時に購入していた『夜は短し、歩けよ乙女』(角川文庫)という、数年前の単行本出版当時、かなり話題になった、今をときめく若き作家である森見登美彦の作品の文庫本に手をつけた。いかに廃人とはいえ(?)1日かからず読み終わったのだから、面白い作品だったとは思うのですが・・・うーん、こう、イマイチ、素直に賞賛できないっていうか・・・。感想を書くまで、もうちょっと寝かせておこうっと。

それよりも惨憺たるありさまなのは大河ドラマ『天地人』です! 先週も決定的な駄作感に打ちのめされ、こんなぬるい展開が続くのなら、もういっそ見るのをやめようかと思えるほどでしたが、伝統の「大河」の号を冠するに堪えないショボっちいドラマを、いったいいつまで垂れ流すつもりなんでしょうか。大枠の流れは日本人なら既にわかりきっている中、歴史上の人物(や、ドラマ上の創作人物)が、大きなうねりを変えられない過酷な人生を、ひとりひとりの人間として必死に、崇高に生きていく姿を見たい、というのが長年の大河ファンとしての願望なんですが、もう大河ドラマにすら「格調高さ」を求めてはいけないってことなのかしら。繰り返し書いてるけど、俳優さんたちの演技は悪くないと思えるだけに、脚本と演出の稚拙さが悔しい毎週日曜日の夜なのです。
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by emit9024 | 2009-02-15 23:57

「楽しすぎて死ぬ」!くらいに

あー、超感情的なエントリであることをお断りしておきます。
これ読んでも読んでる人はわけわかんないと思います。
いつも以上にすこぶる個人的な日記です。

続きはこちら
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by emit9024 | 2009-02-12 20:40

村上春樹なる存在

とにもかくにも今週の仕事にケリをつけた。
まだまだ未熟ではあっても、今の私のベストを尽くしたといえる一週間だと思うし、
たとえ2日間だけであっても、とりあえず会社から解放されるってだけでかなり嬉しい。

自営業の父親を長年見ているので、
結局は責任が限定されている(少なくともわたし程度の)会社員って、ラクだと思う。

とはいえ、今日は、「雇われの身ゆえの危うさ」みたいなものも
社内で激しく発露されたので、かなり複雑な気持ちになったのだが。
これについては書きたいことが山とあるけど、自重しよう。


ところで、今週、仕事のほかに私を静かに熱狂させたのは、
村上春樹が「エルサレム賞」なる文学賞を受賞することに関する、
ネット上でのさまざまな人たちの反応だった。
目からウロコが落ちるような発見が多々あり、本当に勉強になったし、
刺激も受けたし、さまざまなことを考えさせられた。

村上春樹の著作、15冊以上は持ってるかな。
そのほとんどが、エッセイだ。

小説もいくつか読んだ。大学時代から20代前半にかけて。
読み始めると続きが気になり、速いスピードでどんどん読むのだが、何作か読んだあと、
「今の私には春樹の作品は合わないな。もうちょっと若い頃なら、
 逆に信奉するぐらい夢中になったかもしれないけど。」
と思って、それ以上、彼の小説に手を出すのをやめた。

彼の小説の主人公というのは
「個人的すぎるっていうか、独善的っていうか、自意識が強すぎるっていうか・・・。
 他者との自然なつながりを拒否し、社会を拒否し、生活感を拒否し、
 なのに妙に美味しいセックスに受動的にありついたりするのって・・・・。
 それに加えて、そのことに対しての劣等感や羞恥心がなく、むしろ傲慢な・・・。」
ていう印象があって、どうしても感情移入できないし、
それどころかそういうものを完璧なまでの世界観で書いていることに対して、
違和感・嫌悪感が拭えなかった。

甚だしく繊細で、比喩を多用し、
いかにも英文が透けて見えるような文体も、
それが途方もなく上手だからこそ、逆に、妙に鼻についた。

たくさんの春樹ファンの方々、
言うまでもないけど、これはあくまで個人的感想ですからお気を悪くしないでね。

10代後半から20代前半の私は、
「現実を受け入れて折り合いをつけ、ささやかでも、地に足つけて生活する。
 そういう自分を肯定する。」
ということに対して、けっこう必死だったのです。
超然とした態度の春樹作品の主人公というのは、その頃の私には対極だったのだ。

それで春樹の小説からは遠ざかったのだが、
しばらく経って、ふと、彼のエッセイを読んだら、これがすごく面白い。
たちまち、購入・購読を重ねた。

彼のエッセイ、とても抑制が効いてて、軽妙でユーモアがある。
英米文学、ジャズやクラシック、ロックに対する深い造詣とマニアックさ。
no run,no lifeみたいな年季の入った態度にも、すごく親近感を覚えた。
「辺境・近境」や「シドニー!」みたいなルポタージュにも、
その文章力、表現力に唸らされ、何度も再読したし、
「シドニー!」についてはブログに詳しく書いたこともある。


それで村上春樹という作家・文章家の優れた面はじゅうぶんに知っているつもりだったのだが、
今回のエルサレム賞受賞の件ですよ。

いやはや、すごい反響。
特に、良くも悪くも論客ぞろいの「はてなダイアリー」は
凄まじいといえるほどの様相を呈しています。
実に、良くも悪くも(?)はてな論壇のパワーを思い知ったよ。

それらのエントリについては最後尾にまとめてリンクしようと思いますので、
興味のある人はご覧ください。


エルサレム賞というのは、当然、「あの」イスラエルのエルサレムにて授与される文学賞です。

イスラエルの歴史については最低限の常識程度の知識しかない私。
今もまさに毎日のようにガザ地区についてニュースになっていますが、
この春樹関係のエントリを読んで、最近では初めて、主体的に情報を得ようという姿勢になった。

「イスラエルにおける戦争を支持・支援しているアメリカと同盟を結んでいるという時点で、
 日本人として消費・納税活動を行うこと自体、間接的に戦争の共犯者」
という意見は、極論だとしても妄言だと切って捨てることはできず、ガツンとやられました。
中東情勢に対して明らかに興味の薄かった自分の平和ボケ加減に衝撃。

そもそも、今回の春樹の受賞に対して、
「現在もパレスチナ人を虐殺し続けているイスラエルが与える賞を受けるとは何たることか。
 賞は辞退することも可能なのに。」
という意見がある。

このエルサレム賞に関しては、過去に受賞したスーザン・ソンダクという、
人権擁護運動も盛んに行う女流作家(この人のことすら、知らなかったよ)が、
エルサレム市長を始めとする面々が居並ぶ授賞式において、
イスラエル軍の武力行使を激しく非難し、弾劾するスピーチを行ったらしい。

その例を引いて、
「受賞スピーチにおいて、ソンダクのように、イスラエルの暴力性を批判する」
という手段でもって、有名作家としての責任(?)を果たすべき、だという意見もある。

春樹ファン(いわゆる「ハルキスト」)には、

「日本の読者もイスラエルの読者も、読者としては同じなのだから、
 どこの国の賞であっても差別区別するのは、いかがなものか。
 作家というのは、たとえば受賞スピーチという手段をもって
 政治的行動をとらないからと言って、非難すべきものではないし、
 春樹をそういう政治的道具として扱って欲しくない。
 そもそも、春樹の文学は、政治からはもっとも遠いニュアンスのもので、
 彼のような作家は、直接的な言動ではなく、これまでどおり、
 「作品」によってメッセージを発するべきで、それによって感想も語られるべき」

のような反論も見られる。
私としても、この意見は、同意するしないではなく、素直に読んだ。
春樹のファンが、このような意見を述べることは、ごく自然だと思えたし、
一般的な現代日本人の本読みとしても、違和感はなかった。

しかし。

「賞を与える、受ける、という時点で、既に両者ともに政治的な行為」

「政治的なものから文学を隔離しようとすること自体が、
 積極的政治性とは違った意味であるだけで、『政治性』を帯びることに変わりはない。
 むしろその「無自覚さ」こそが、現代日本の特徴でもあり、問題でもある」

等々の意見には、文学と政治(的なもの)のかかわりを認識したことすらなかった私としても、
はっとさせられるところがあり、

「この受賞が『村上春樹』であるからこそ、このように喧々諤々となるのだろう」

「戦後のベビーブーマーとして生まれ、高度成長経済期に育ち、
 学生運動の時代(しかもそのとき、春樹は早稲田大学文学部の学生だった!)を経験し、
 なおかつ、一般的な会社就職を選ばず、ジャズ喫茶経営というマイノリティの道を選び、
 さらにその10年後、あのような(『風の歌を聴け』)作品でデビューした村上春樹が、
 政治性と無縁だといえるほうがおかしい。」

などの意見を読むにいたっては、首肯せざるを得なかった。

なおかつ、

「春樹という作家は、政治的バランスを保つのが天才的に上手。
 自らの文学の政治性を俎上に上げずに、こんなにも現代において評価されてきたのだから。
 今回の受賞にしても、スピーチをするにしてもしないにしても、
 政治性を帯びず、物議もかもさず、しかし彼の流儀で『うまく』やるだろう」

というような意見は、2月15日の授賞式において恐らく証明されるのではないか、と見た。

っていうか、
彼がスピーチをしようがしまいが、した場合にどういう内容であるかに関わらず、
その行動について、私も何かしらの「意味」を(勝手に)解釈するひとりになるだろう。
そして春樹は、そんな読者や視聴者、世界中の人々のこともじゅうぶんに想定したうえで、
その日の行動をとるのだろう、と確信してしまった。


ともかくも、村上春樹なる存在が、いかに限定的とはいえ、
かくも影響力のある大家であるかということを、
今週、ふつふつと感じて驚嘆した私です。

しかも、教祖とか現状のオバマのように、熱狂的に支持されるのではなく、
それぞれの立場、同じ春樹ファンにしても異なる意見を表明される対象であるってことが、
逆にすごい存在だなーと思った。
これだけの論議をかもすだけで、小説家の価値というのを感じるし、
そういう小説家って、日本には春樹しかいないな、ってのも改めて思った。
(大江健三郎は、『小説家』というより、やっぱり『作家』って感じがする。
 作家のほうが、より、政治的ってニュアンスで。
 それがいいとか悪いとか論じたいわけではなく。)

それで、何年かぶりに、
「春樹の小説を、また読んでみようかな?」と思った私です。
あらー、結局、これこそが彼の思うツボなのかしら。
私のよう態度の読者が、その結果、彼の作品に対してどんな感想をもつとしても、
印税が入るという経済的価値のほかに、
彼の「政治的といえなくもない」小説家としての意義、
に、ひと味、加えることになるのかも。

そして、ほんとに真面目な厳粛な気持ちで書きますが、
ガザ地区で、自分の想像を超えるくらいに簡単にどんどん人が死んでいる、
ってことも認識したし、それについて無関心といえるほどであった自分の無知の罪も恥じた。


参考エントリ

『琥珀色の戯言』
村上春樹さんの「エルサレム賞」受賞に、一ファンとして言っておきたいこと
村上春樹さんの「エルサレム賞」受賞について・付記

『モジモジ君の日記。みたいな』
村上春樹、エルサレム賞受賞おめでとう!!!
2009年2月にエルサレム賞を授与される、ということ
村上春樹を読まずに批判してるって?

『無造作な雲』
村上春樹氏 エルサレム賞受賞
村上春樹氏 エルサレム賞受賞-補
村上春樹氏 エルサレム賞受賞-蛇足
村上春樹氏 エルサレム賞受賞-村上春樹という問題

『ビジネスから1000000光年』
個別論と一般論、具体論と抽象論のすれ違い、問題のレイヤーの違いについて

『玄倉川の岸辺』
村上春樹とエルサレム賞(あるいは人間の三つのタイプについて)


などなど、
各エントリのトラックバックも参照。
記事に対しての直接コメントや、はてなブックマークコメントにも秀逸なもの多々あり。
ブックマーク機能の有用性・興味深さにも、今回、遅まきながら気づきました。
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by emit9024 | 2009-01-31 00:26