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Invincible!!

きのうの日曜日に夫が作った料理。

・鯖の塩焼き
・大根とエリンギのお味噌汁
・ナスとキュウリの浅漬け
・マーボーナス(マーボーソースは手作り)
・鶏じゃが
・卵焼き
・手羽元の照り焼き
・チャーハン
・ブロッコリー塩茹で
・大根おろし

これらが、日曜日の昼ごはんと夜ごはん、今日のお弁当のおかず、ならびに今日の夜ご飯になりました。
夫「これはもうバイトだな・・・」
ほんっとうによくがんばってもらってると思います。おかげであたし、3日連続で料理してません(土曜日は外食だったからね)。深謝!

今日は帰宅後、走る。
11.1キロ、62分40秒。
1キロあたりに換算すると5分40秒ペース。
気温は25度を越し、湿度もけっこうあるってのに、なんだかずいぶん速く走れるようになったものだ。
キロ5分ぐらいで走る女性市民ランナーはザラにいるんだろうけど、人と競ってるわけじゃないからね。自分の成長具合を感じられればそれがいちばんのモチベーションになるのだ。

6月の走行距離は87.5キロ。
5月は80.7キロ。
私にしては上出来なのだ。これぐらいでも、走力はけっこうアップするんだな、て思う。

先週から、ランニングのBGMは、もっぱらマイケル・ジャクソン。
ソロになってから約30年のあいだに発表したオリジナルアルバムは6枚だから、かなり寡作ではあるんよね。
しかし、さすがにいずれも、完成度がものすごく高い!
1枚のアルバムを作るのに100曲ぐらいの候補曲がある、なんて話もダテじゃない!と思える。

先週は毎晩、you tubeやニコニコ動画でマイケルを見まくってた。
マイケルのパフォーマンスといったら、「これ見たらちょっと、他のアーティストなんて見れないよな。。。」ってぐらいに、「別格にもほどがある!」てぐらいに輝いてる。
それを見るにつけ、今はやっぱり、感傷的になってしまうわけで。

でも、1時間やそこら走る、という単純な肉体の動作の道連れに聴いてると、イヤホンから流れるマイケルの曲は、楽曲もアレンジもボーカルも、ほんっとうにかっこいい! 繰り返すけど、1枚のアルバムに100曲も用意できるほどの潤沢な予算があったら、そりゃここまでかっこよくもできるさ、って話しかもしれないけどさ・・・。曲がいいのはもちろん、マイケルのボーカルのリズム感、ハンパじゃない。なんか、「まじりけがない」って感じ。ほんと気持ちいいー! 私の足運びもスムーズになるわけだよ。あらためて純粋に痺れてしまう。

ジミヘンもジャニスもジョン・レノンも若くして死んだ。
でも音楽は残る。いま挙げた3者とも私は同時代に生きてないけど、若くて感受性の豊かな時代に彼らの音楽を聴き倒した。かっこいいってこういうことなんだ、って思った。大げさだけど、彼らの音楽はたくさんの人の人生の血肉になってる。
マイケルも死んでしまったが、これからきっとそうなる。
ベートーベンやモーツァルトのように、何百年も後までは残らないかもしれない。
それでもいい。だって人ひとりはせいぜい生きて100年だもん。
少なくとも私が生きてるあいだぐらいは、これから先もマイケル・ジャクソンの音楽はたくさんの人に影響を与えるだろう。折に触れ、私はそれをとても嬉しく、誇りに思うんだろう。

それにしても、ニコ動には、かなり慰められたなー。
マイケルが繰り広げるパフォーマンスに、これでもかってほど視聴者のコメントが浴びせられる。
怒涛のように流れるコメントを、得意の速読術(?)で目を皿にして追いながら、何度も爆笑したよ。あの、ユーモア溢れる賞賛コメントの数々!! あんなのを共有できるって、ほんとにいい時代だなって思った。日本人って、テロップを読むことにもっとも慣れた民族ではなかろうか。ニコ動って、日本ならではのネット文化なんじゃないかなー。中国とか韓国とかにも、ニコ動みたいなサイトってあるのかな。
# by emit9024 | 2009-07-06 23:29

夫婦の生活は、「秘すれば花」だ(?)

1年前に結婚式をやったオークラへ食事に行った。
1年目の特典で、ホテルから招待券が届くのだ。

「サンダルはご遠慮ください」なんて、
小憎らしいオーダーをつけるようなところでのディナーなんだから、
それなりの格好をしなければならない。
その辺の居酒屋に行くよりも、準備には時間がかかる。
未だに夫にびっくりされるぐらいに面倒くさがりな私だが、
夫婦で夜のお出かけをするために、同じ家でそれぞれ身支度する夕方の時間はけっこう好き。

トム・クルーズがニコール・キッドマンと夫婦だった頃に
共演した映画『アイズ・ワイド・シャット』の冒頭を思い出す。

知らず知らずのうちに倦怠期に入りかけてる夫婦役を演じるふたり。
夜のパーティに出かけるために、ふたりがバスルームで身支度するシーンは、
まるで彼らの実生活を覗き見てるような気分にさせる。
妙に生々しく、淫靡なシーンなのだ。
それを見たとき私はまだ20歳そこそこだったので、
自分の感じた「エロさ」がどこからくるものなのかわからなかったけど、今なら何となくつかめる。

隠そうともせずに着替えたりメイクをしたりするふたり。
ぱりっとしたシャツを着たトムがバスルームでヒゲを剃ったり、
ニコールが夫の前でドアも閉めず、黒いドレスをまくりあげて用を足したりするシーンは、
お互いしか知らない、家の中の夫婦生活というものを赤裸々に描き出していた。

その羞恥心のなさ、剥きだしさかげんが、いかにも「夫婦」という感じで、
ふたりのセックスを見せられるよりもむしろ、ひどくエロっぽく感じられたのだ。
うん、いいシーンだったな、あれは。

夫婦って、人の目がある場所では、
無意識のうちにちょっと互いの距離をとって振舞うというか、
なんとなく「性の匂い」みたいなのを消し去ろうとするところがあるように思う。

自分が他の夫婦を見るときも、そうしてもらったほうが何となく安心する。
「この人たちは社会的に宣言し認められた生活上のパートナーなのだ」と思いたい、というか。
ズバリ書くと、夫婦であれば当然存在するに違いない「セックスの影」みたいなものに
蓋をしておきたい、という意識が無意識のうちに働いてる気がする。
夫婦の側でも、夫婦を見てる側でも、両方ともに。

仲が良さそうな夫婦というのは、見ていて当然気持ちのいいものだが、
その仲の良さというのは、
「二人には共通の趣味があるから会話が弾みそうだな」とか
「家事や育児を協力しあってやってるんだな」
とかいう視点で感じたいわけで、間違っても
「このふたり、あっちの相性良さそうだなー」とかいうことを思い浮かべたくはないのだ。

トム・ニコール(元)夫妻とは違って美しくもなんともない私たち夫婦の身支度は、
ほかの人が見てもエロさの片鱗も感じられないだろうが、
よそゆきの服に着替えてアイラインなんか描いてると、

「こうやってるうちに、
 家の中で知らず知らず身にまとってる濃密な我が家の「気」を少しずつ払い落として、
 誰が見ても不安のない“清く正しく安定した夫婦”像へと近づいていってるな、よしよし。」

と、勝手に、ほくそ笑む私である。
夫婦って、お互いしか知らない共犯者だなーと思う。
それが楽しい。

準備完了の私を見た夫が「えらい着飾ったなー」と驚いたので、
「え、はりきりすぎ? 恥ずかしい?」と一気にひるんだ気弱な私だったが、
「ま、いいと思う。うん」と言われてそのまま出かけた。

私がこんな(自意識過剰な)ことを考えながら出かける準備をしていることを、
夫は想像もしてないだろう。
いや、もしかしたら、こういう気持ちは男女問わず人類普遍のもの(?)で、
夫も無意識のうちに「二人の巣から出る儀式」を楽しんでるのかもしれない。
どっちなのかはわからない。聞いてみたりはしない。
共犯者同士は、心の底の底までを明かしたりしないほうがいいのだ。

ホテルの中華店で洒落た広東料理のコースを(タダで!)食べ、
高い紹興酒をロックで飲みながら(お酒は手出しなので、夫がごちそうしてくれた)、
この1年間のことをふたりで思い出してた。
具体的には、この1年で、どこでどんなものを食べたかについて細かく挙げていった。
フレンチ、イタリアン、もつ鍋、刺身に焼き鳥、もつ鍋、餃子、回転寿司、カニ、焼肉。
私たちの場合、それには洩れなく、大量のお酒がついている。
メタボの恐怖に怯える日も遠くないかもしれない・・・。

あるいは、その前に、飽きるのだろうか? 
夫婦の食事と会話は、かわりばえのしないものになっていくのか?
1軒だけでは飽き足らず、2軒目でも飲みまくるなんでことは、なくなっていくのかなァ。
結婚生活、まだまだこれからだ。
# by emit9024 | 2009-07-05 22:23

マイケル、ゴッド ブレス ユー!!

昨日書いた、1993グラミー賞授賞式でのマイケル・ジャクソンの映像、
you tubeを探したら、あった!

これ。
しかも、すんごい高画質!!
なつかしすぎる・・・(涙)
記憶を元に書いた昨日の記事と実際とは、ジャネットが出てくる順番などが違ってた。



彼が死んだというニュースを最初にニュースを知ったとき、
なんだか驚けなかった。
「ああ、とうとうこの日が」という気持ちは、
これまでのマイケルの報道に接してきた人たちの多くがもったんじゃないか?

死去を報じるテレビで繰り返し流れる懐かしい「スリラー」のビデオを見てるうちに、
ぽとぽとと雫がコップに溜まっていくみたいに、悲しみがこみあげてきた。

'78年生まれの私はスリラー当時のことは覚えてないけど
あのとき、彼の歌とダンスは、
『こんなことをできる肉体があるのか!』
って、世界中を驚かせ、魅了し、熱狂させた。
まさに天賦の才能をもって生まれてきたマイケル。

10歳になるかならないかのころからスーパースターとして世界中の注目を浴び、
子どもらしい子ども時代を送れなかった彼にとって、
音楽は心のよりどころであり、
聴衆を喜ばせることで、自分の存在価値を認めてきたのだろう。

そうやって彼は、神さまからのギフトのような自分の肉体を磨くことに腐心した。
撮影やコンサートで怪我をしたり、病気を負ったりするたびに、
たくさんの手術や治療が必要だった。
中傷やコンプレックスを克服したりするために、あらゆることをやった。
その中で、整形手術を施したり、強すぎる鎮痛薬に頼ったりもしたんだろう。

そうやって、長い時間をかけて彼は肉体を磨き続けたが、
結果的にそれが、彼の体を蝕み、あまりにも早く衰えさせてしまった。
それは、なんて皮肉で悲しいことだろう。

この原理は、多くのスターにいえることではあるんだよね。

スポーツのプロ選手なんか見てても、みんな怪我に悩まされる。
記憶に新しいところでは、清原にしろ桑田にしろ、新庄にしろ、高橋尚子にしろ、
一般生活を送っていたら考えられないような怪我や大手術を若いうちに経験している。
たぐいまれな肉体をもって、高いパフォーマンスをしようとする人たちの宿命。

世界中の目にさらされながら、精神の安定を保つことがどんなに難しいかは、
ハリウッドのセレブやロック界のスターを始め、数々の先人も立証している。
クスリ漬けになって破滅していった人、宗教を支えとして生きていく人・・・。
有名になった子役が、そのキャリアゆえに、大人になる前につぶれていっちゃう例も多くある。

ひとつの成功は、ややもすると、それと同じだけか、あるいはもっと大きな挫折に結びつく。
人の目を集めるってのは、栄光と同じか、それ以上の誹謗中傷にさらされることでもある。
それを免れるのが、どんなに難しいことなのか・・・。

マイケルは40年間、世界のスターであり続けた。
ショービジネスの世界で、史上、類を見ないほどの成功を収めた彼が、
その代償として払ったものは、これまた史上最大だった、ってことなんだろう。


・・・なーんて書いてみたんだけど、
そうやって分析することで、自分の中でマイケルにケリをつけることができないんだよね。
大好きだったから。
正確に言うと、大好きだったのに、彼の死を知ったとき、妙に冷静だったから。

私は多感な10代のころに、マイケルが大好きだった。
でも、結局、私も、スーパースターを「世間のこっちがわ」で見てた。

もともとそんなに興味がなかったら、
すばらしい才能をもった、でも不幸な面もあった人だった。って片付けられるし、
逆に妄信的なまでにスキスキだったら、わんわん泣いたり、マスコミを責めたりできるんだろうけどさ。

21世紀になってから、マイケルは長い裁判に巻き込まれたことを始め、
(詳細を知らない人が多いと思うけど、
 証言の多くは偽証であったし、
 原告の少年の母親は詐欺罪で有罪判決を受けている)
彼にまつわる報道のほとんどがゴシップだった。
一般人には理解しがたい「奇行」の類も、数々、伝えられた。

人々の好奇心に訴える、悪意ある報道をすべて鵜呑みにするわけじゃなくても、
いつのまにか私も、「そっち」に歩調を合わせてるところがあった。
私の世代は、スリラーのころももBADのころもまだ子どもで、
ゴシップばかりがばらまかれてからの記憶のほうが鮮明だったりするので、
マイケル大好きー!て人は、周りでは、ほとんどお目にかかれない。
そういうのもあって、マイケルのことが話題にのぼっても、
空気読んで、「マイケル・・・ううむ、あれは、奇人じゃからのう。」なんて態度とって、
そのうちに、なんかほんとに、自分の中で、そういう扱いになってた面がある。
大衆心理っていうの? 長いものに巻かれてたっていうの?

今回のことで、you tubeでマイケルの動画をたくさん見た。
ほとんどが、夢中だった10代の頃に見たことがあるものだった。
ネットもない時代、日本に住んでいながら得られる情報は、ほとんどすべて得ていたのだ。
そのころから、好きなものに対して突き進んでいくオタク魂をもってたから・・・。

「懐かしい!」
「かっこいい!」
「なんていい歌なんだよー!」
興奮したり、しみじみしたりしながら、
「こんなに好きだったのに、どうして忘れていられたんだろう?」
て思った。

トライセラトップスの和田くんのブログを見たときもそう思った。
こんなに堂々と、「マイケルをずっと好きだった」って語れるなんて、すごいと思った。
ある意味、うらやましかった。その一途さが。

考えてみれば、忘却は、あたりまえのことではある。
誰だって、自分の人生の、「今」を生きてるんだもん。
遠くの親戚より、近くの恋人(?)。
そのときどきで、私の人生に大事なこと、最重要課題はたくさんあるのだ。

いってみれば、マイケルが好きだったといっても、
世界のファンの多くは、その程度の熱心さだったんだろう。
そのことに罪悪感をもったり、責任を感じたりするのも、むしろ何か違う気はする。

でも、マイケルにとっては、一生、音楽をやっていくしかなくて、
というか、「マイケル・ジャクソン」としての人生しかなくて、
新作を発表しなくても、ツアーに出なくても、
自分が望もうと望まざるとにかかわらず、
もはや、どんな些細な話題や、根も葉もない噂でも、
世界中から注目され続けて、それから逃れることはできなかったのだ。

ふつうの人々だって、性格や生き方は、環境によって作られるところが大きい。

度重なる整形手術や、強すぎる鎮痛薬への依存。
私たちには奇妙に映る行動、子どもに対する偏執的な愛情。
マイケルがおかれた環境によるものだと思う。

環境というのは、自分で選べる部分と、そうでない部分があって、
その境界線を他人が引くことはできない。
「もっと違う道、より良い道もあったんだよ」って、他人が言うことはできない。
まして、家族でも友だちでもない「スター」に対して、
しょせん「その程度」の関心しかない私たちが、
「ここまではOKだし、ここは仕方ないけど、あれはアンタ、おかしかったよ。」
って言うことがどうしてできるだろう?

逆に、
「かわいそうな人だった」
「不幸な人生だった」
「人間らしい幸せを味わえない生涯だった」
って決めつけるようなこともできない。それは不遜だと思う。

想像を絶するような栄光と、それに伴う孤独があったんだろうな。
ってことを、私はぼんやりと想像するだけ。
彼の人生の評価はしたくない。

そうすると、結局、「大好きだった」って気持ちだけが残る。
彼の、輝かしい歌とダンスのパフォーマンスを見て、
「ワーォ!」「フーゥゥ!」て口笛吹いて昂揚して、
彼はもういないんだな、て切ない気分になる。
人の一生の複雑さについて、ぼんやり、答えの出ないことを考える。
つまるところ、それだけしかできないし、でもそれだけがファンにできることかな、って思う。

死の底へすべり落ちていくとき、マイケルは苦しかっただろうか。
もしかしたら、
なんとか大聖堂で天使が迎えにきたネロみたいに、幸せに天に昇っていったのか。
彼を縛り付けた地上の重力から、やっと解放されて。

もう8年もネットで書いてる自分の日記を検索しても、
マイケルのこと書いてるのは、2・3の記事しかなかった。
亡くなってから評価するようなこと書くなんて、いかにもな自分を嫌悪してもいる。

今夜も発泡酒飲みながら、ふらふらで殴り書きだー!
考えは尽きないけど、もう明日のお弁当のおかずも作ったし洗濯もした、
これからまた、飲み会の夫が帰ってくるまで、you tubeとマイケルのCDを堪能するよ。
God bless you, Michael!
どうか安らかに。
# by emit9024 | 2009-07-01 21:55

King of Pop が死んだ

マイケル・ジャクソンが死んだ。
うーん。
平静ではいられないのだよね、やっぱり。

その事実は、日本でいう先週の金曜日、26日の午前中にはわかっていたことなんだけど。

当日、出勤前の朝の情報番組で一報を聞いたときは、そうでもなかった。
「ああ、きたか。」
「ああ、ついに、その日が。」
ってな気持ちだった。
この、「ああ」っていう感嘆詞?がついてるところがミソなんだけど。

それが、週末の報道を経てジャブが効いてきて、
きのう、今日ぐらいは、もう完全に打ちのめされてるね。

や、身も世もなく嘆いてるわけじゃない。
ニュースで映るアメリカ市民みたいに、涙にくれたり、逆に叫んだりしてるわけでもないよ、もちろん。
普通に会社に行って、仕事して、家に帰れば家事したり晩酌したりしてる。

その合間に、ネットでマイケル関係のブログ記事をチェックしたり、you tube見たりしてるうちに、
なんかね。
身に迫ってくるもんがあるのさ。

マイケルのこと、大好きだったんだよね。
街のあちこちで流れてるから好きになった、とかじゃない。
衝撃的な出会いで、一気に魅入られちゃった。

「それが14歳のころだったから、
 まあ、ネット用語?でいう、『中二病』だったんだよな(笑)」
大人になって久しく、そんなふうに思ってたのだけれど、
そうだとしても、骨の髄まで沁み込んだ、この「中二病」の根の深さ、、、たるものに、
あらためて愕然としている、この数日なのである。

私が14歳のころ、といえば、1992年か1993年。
バブルまっさかり? いや、既に弾けてたのか?
とにかく、グラミー賞の授賞式を、確か地上波の番組でやってたんだよね。
もう今はやってないよね? そんな時代。

私はちょうど、洋楽に目覚めた年頃で、
深夜ラジオで「American Top40」なんかを愛聴してて(時代を感じますな、、、)、
そんな流れでその番組にチャンネルを合わせたんだと思う。
ニルヴァーナとか、アレステッド・デベロップメントとかがお目当てだった。

その授賞式で、『Living Legend賞』つまり「生きる伝説で賞」みたいな、
すごい名前の賞を受賞したマイケルのパフォーマンスを見た瞬間、トリコになった。

CM明け、いきなり「Living Legend」と題したVTRが始まる。
最新の映像(確かスーパーボウルのハーフショーだった)からジャクソン5まで、
時系列を逆になぞっていく、マイケルの栄光の映像。

それを受けて授賞式の会場に歓声が湧き、
登場したのは、真っ白いスーツに身を包んだ妹・ジャネット・ジャクソン。
当時は20代前半だよね、きっと。

彼女は、VTRをまとめるかのように、
マイケルの20年以上に渡る音楽活動の功績と、
そして、妹として、どんなにマイケルを愛しているかを語って、
高らかにマイケルの名を呼ぶ。

満場がスタンディング・オペレーションで、マイケルを万雷の拍手で迎える。
もう真っ白い肌になっていたマイケルは、壇上に上がり、ジャネットと固い抱擁をかわして、
長いスピーチを始める。

ジャクソン5のリード・ボーカルとして10歳でデビューした彼が、
その身に受けてきた栄光と、それに伴う、想像を絶するゴシップ報道について。
名声とひきかえに、純粋な子ども時代を奪われてきたこと。
それでも、自分がどんなに音楽を愛しているか。
だからこそ、無垢な子どもたちを、どんなに愛しているか。
そういうスピーチ。
会場中に巻き起こる歓声に「I Love You!」と例によって繰り返して、マイケルは応えた。

大人になって思えば、ちゃんとスピーチライターがいたんだろうけどね。
そうだとしても、すべてのパフォーマンスに心底からのソウルを感じさせるのが
マイケル・ジャクソンの表現者としての恐るべき才能だし、
なんたってローティーンの私だったので、おおいに感化されたわけよ。

そして続いて、マイケル・ジャクソンのミュージック・ビデオ集が
たっぷり20分ほども放映されたんだから、これはもう。
今度は順時系列で。
「ビリー・ジーン」
「ビート・イット」
「スリラー」
「バッド」
「ブラック オア ホワイト」
「ヒール・ザ・ワールド」
ときたら、ノックアウトされてもしょうがないよね。
ほんと、衝撃だったもん。

しかも、当時すでにオタク気質(?)を表していた私、
ちゃんとその番組を、ビデオテープに録ってたんだよね。
何十回と見たよ、繰り返し。
当然、CDも買った。中学生でお小遣いに乏しかったので、珍しく親にねだったりして。

しかも、翌年、マイケルが福岡ドームでコンサートやったんだよ。
まだ中学生のガキんちょだったのに、私、見に行ったんだよー。
5歳年上で、既に社会人になってたお姉ちゃんにチケットを買ってもらってさ。

いやー、相当、ヤバイくらいのファンだよね。
でもそれは、今から15,6年前のこと。
その間に、私は大人になり、マイケルを取り巻く状況も変わって、
彼の死去にゆきあったこんにちの、すごく複雑な、簡単には書けない心境に至る。

長くなりそうなので続きはまたいつか。
# by emit9024 | 2009-06-30 22:40

週末をみんなが待ってる

<<6月26日 金曜日>>

●仕事でいささかハッスルしたり、社内事情がいろいろあったり、おまけにマイケル・ジャクソンは死んだっていうし、なんだか思いがけないことが重なったせいだろう。夕方、むらむらと飲みたくなって夫を誘う。今週4回目の飲みになるっていうのに、夫、快諾。いい人だー。や、飲み好きなだけか。

●先週、しず夫妻と行ったAKAMARU食堂をまた所望。好きなんです、あの店。何でも美味しい割に、お高くない。正しい博多の居酒屋って感じ。

●途中まで、夫の先輩も一緒。これまで紹介された夫の会社の人たち、みんな明るくて面白く、酒をよく飲む。といって、「いかにも」な九州男児らしい我が社の男性陣(特に営業関係)とは、なんだかカラーが違う。もちろん私という社外の人間、しかも「同僚の妻」みたいな人間が同席している会だからこその振る舞いもあるんだろうけれどもね。みんな良く飲み騒ぐけど、妙な体育会系のノリがなく、趣味人が多いせいか、飲み会の場でも良い意味で個人というものが尊重されている感じがする。とても新鮮だ。しかし、なんかどんどん、夫の会社の人たちにも私の酒乱(?)ぶりが露呈されてきたような・・・。

●これからジャズライブを見に行くという先輩と1時間半あまりでお別れし、私たちはさらに飲み足す。ついでにカラオケに行ってビールをたくさん飲みつつ歌う。あーすっきりした。親密な相手との飲みは良い。

●帰宅すると、NHKで俳優祭をやっている。老若男女(いや、ほんとの意味での『女』は波乃久里子さんぐらいしかいないが)の歌舞伎役者が屋号を問わず同じ舞台に立つという、1年に1回あるかないかのうれしいファンサービスデー。いやー・・・2年前にテレビで見てたので知ってたけど、凄い。凄すぎる。歌舞伎ファンじゃなかったら、「何この悪趣味な芝居は?!」てドン引きしまくりの舞台だ。

●童話「シンデレラ」を明治風に仕立てるという筋書きのこのお芝居。継母は勘三郎、ふたりの意地悪な姉は福助と橋之助。魔法使いのおばあさんは左團次。菊五郎はなぜか「おくりびと」に扮してチェロを弾き、舞踏会ならぬ『歌舞伎座』の大パーティーで乾杯の音頭をとるのは北島の宮殿下?とやらの海老蔵。もちろんモロ肌脱いで「チョー気持ちいい!」とか言い放つ。米国からやってきた将軍(仁左衛門)は「Yes! We can!!」、その夫人キャサリン(団十郎)は「カブキ座 is change!!」。福助は矢島美容室のオズマの扮装であの歌を歌舞。もはや芝居自体に何の必然性があるのかさえわからない勘太郎・七之助の兄弟や彌十郎・亀蔵などは「配達に来ました~!」とかいって岡持ち片手に登場したあげく、勘太郎の結婚ネタとかやったり。。。まったく収拾がつかない事態。

●そう、これは「歌舞伎というのは歌舞伎役者を見に行くもの」という至言がまさに体現された世界なのだ! ドギツいまでのメイクを施し、下品で安直なせりふが飛び交い、ぐだぐだなシナリオであっても、それを演じるのが「あの」団十郎や菊五郎という大物であったり、若手花形の海老蔵や菊之助であるというだけで、客席は爆笑と歓声の渦。ジャニーズのコンサートやアキハバラでのコスプレなんかに勝るとも劣らない、日本が誇る「萌え」の原点がここにある! 

●主役の「シンデレラ=灰被姫」を演じたのは玉三郎。悪ふざけのすぎる舞台にあって、当代きっての名女形であるこの人だけはまっとうな、、、というか、最後の良心とばかり、可憐で華麗な姫役を演じる。これは、前回の俳優際で見た『白雪姫』でも同じだった。がらりと舞台が回転すると、「カブキ座の精」なる五?天王が登場。芝翫、富十郎、藤十郎、吉衛門、幸四郎の大御所たちです。やがて全員集合し、「歌舞伎座はいったんお休みをいただきますが、これからも隅から隅までずずずいーっと、よろしくお頼み、ア・申し上げまする~」てな感じで豪華絢爛にフィナーレ。

●ちなみに、亀治郎さんはカブキ座大パーティの司会者・白柳徹子とやらに扮していた。に、似てたよ。。。でも、その前に彼のお父さん、段四郎が出てきたとき、「亀さん?!」て一瞬、思ってしまったんだよね。さすが親子!声が激似。どんな世界でも世襲制には弊害があろうが、愚かというなら言え、やっぱり歌舞伎界では、こういうのを堪能するのがファンの楽しみなのだ。そして、カブキ座近くの新橋の料亭の女将として出てきた雀右衛門丈。御年88才になる女形の大御所は、人力車から降りず。やはり、踊るのはもはや難しいのかな・・・。でも、口上はまだまだしっかりされてるのが嬉しい。何のかかわりもないけど、お元気でいてほしいと思ってしまう。

<<6月27日 土曜日>>

●11時半起床。夫によるザル蕎麦を食べてすぐ、業者さんが登場し、新しいネット回線の工事。予定より30分も早く来られたので、化粧する間もなかったよ。。。

●昼間は読書。『武士の娘』(ちくま文庫  杉本鉞子 著、大岩美代子 訳)を読み終わる。明治6年、越後は長岡藩の家老であった稲垣家の娘として生まれ、幕臣として戦いに敗れた父のもとで維新後に育ち、結婚後はアメリカに住んで二人の娘を生むが若くして夫に先立たれて帰国、しかしその後はまたニューヨークに住まい、英語でこの本を書いた著者。

●自然や旧き良き習い、ありのままのさだめを受容することのを美として厳格に育った子ども時代、婚約後、米国で事業を興した夫と共に暮らすべく、1ヶ月もかけて東京へ行って自由な校風の英学校へ通った娘時代、米国へ渡っての暮らしやその地に住む人との交流における戸惑いや成長が見える婦人時代、そして夫の死後、日本へ戻り、米国生まれの娘たちを女手で育てる母親時代と、描かれる半生、まさに波乱万丈。当時としては進歩的すぎるほどの環境におかれることになるも、その根底にはどこまでも「武士の娘」たる芯の強さがあるんだなあ。

●昔の人の風俗や暮らし、思考や行動を知る本は本当に面白い。卑弥呼の古代に遡るまで、どの時代の歴史にも興味はあるけど、歴史上の偉人傑人はもとより、近代に入っては、いろいろな身分・立場にあった人々の具体的なあれこれがわかるものがたくさんあって面白い。『忘れられた日本人』(宮本常一)のように、名もなき人々(私の祖先もこの類の人々だろう)の農村での、貧しくもいきいきとした暮らしをフィールドワークによって克明に浮かび上がらせたものもいいし、こういう、いわゆる支配階級にあった人々の暮らしに、毅然とした日本人の精神性を見るのも面白い。

●夕方、走る。水・木と蒸した町を走り、木曜日には7キロ38分という、自己ベストを出してゴキゲンだったんだけど、其の分、また膝に不安を感じながらだったので、この日は距離にこだわらず、あまり通ることのない小道を珍しげにキョロキョロしながら楽しく走る。48分、約8キロってとこだろう。

●夜は夫・作のチキンステーキ。いったい、いくらの肉よ!?というくらい(答え・グラム108円だ!安!)の柔らかさ~。ソースは生姜とニンニクと醤油。つけあわせは、チンゲン菜とエリンギ、そしてジャンボしし唐のグリルに、キャベツの浅漬け。夫、今週もグッジョブ!

●『鹿男あをによし』のDVDはついに最終回。面白かったなあ。洒落てるとかこなれるとは、とても言いがたいドラマだったけど、フジの木曜22時枠としてこの企画が通ったって素晴らしいことだ。視聴率はふるわなかったのだけど、製作陣は誇りをもってほしい! とにかくキャスティングが見事だった、みんなすごくハマってて、いきいきしてた。ヘタレの玉木宏、天然の綾瀬はるか、ふわっとした佐々木蔵之介、気の強いお嬢様の柴本幸! 柴本幸、すごく良かったやん! この人のせりふまわし(と、顔立ちも・・・)変わってるけどクセになるのよね~。大河『風林火山』では、当初、私も反感もってたクチだけど、やっぱりこの人、独特の存在感があるわ。一般ウケしないかもしれないけど、これからも自分の道を進んで、息の長い女優になってほしいなあ。それに、とても清々しいラストだった。最終話、多部未華子ちゃんの初々しいキスシーンはドキッとするほどの出来だったわー。

<<6月28日 日曜日>>

●一念発起して休日の早起き。それは8時半なのだが・・・。天神で買い物の必要に迫られてたので、どうせなら早くすませたほうがよかろうと思って。私だって、やるときゃやるぜ! や、せいぜい8時半起きだが・・・。

●これまで、お通夜やお葬式に参列する際は、仕事でも使える黒のスーツでしのいできたが、来月、夫の父方の祖父の13回忌があるのを機に、喪服らしい喪服を仕立てることにした。あ、仕立てたわけじゃないです。吊ってあるのを買っただけです。それでも、10年は着るのを目標にと、それなりのものを購入しました。ええ、これは費用というよりも資産計上ですよ。チビッコの私だが、四十路に向かっていく体が丸みを帯びるのをちゃーんと考慮して、ひとつ上の9号にしたもんね。

●次いで、かねてより、「私がプレゼントするから用意しときなさい!」とお姑さんに言われていた真珠のネックレスも購入。とりあえず立替払してくれる夫を伴って店頭に出向くと、私たちの結婚指輪を一瞥し、「心得ました」とばかりに、的確な価格帯、品質のものをオススメしてくれる店員さんである。

●「ええ、真珠のネックレスというのは、アクセサリーというよりは、“お道具”に近いものですからね。冠婚葬祭は言うに及ばず、お子さんが生まれたときの学校の行事になどにもお使いいただけます。そのように、ご列席の方々と並んで、ええ、見劣りしないものを。。。かといって、もちろん好き好きもございますが、真珠に関しては、お売りするわたくしが申し上げるのもなんですが、あまり最高級のものでなくても良いのではないかと。いえ、ダイヤモンドならば、少々のご無理をおすすめしますが、真珠というのはどうしても、着用していただくうちに、お肌の脂や空気を吸ってしまうものですから、将来、娘さんに受け継いでいただくほど、長持ちはしないのです。。。」

●とかなんとかで、まあ予算どおりのものを購入。お義母さん、ありがとうございます。なんか嫁っぽいよなあ。

●西通り『ヒッコリー』で美味しいパスタランチを食べたあとは、アディダス~プーマ~ナイキと、大名の路面店巡り。夫はシャツとシューズを買い、私はシャツにスパッツ、ウエストポーチを。な、なんか、かなりスポーティな人たちみたいだ・・・。

●夫は最近、休みの日にウォーキングを始め、その中でちょっとだけ、走ってみたりもしているらしい。強制されるほど嫌なものはないと思うので、私はいっさい、夫にすすめたことはないのだが。腰を痛めたあと、運動不足を痛感したのと、もともと、毎日片道20分は会社と自宅とを往復して歩く彼なので脚力がないわけではないのと、私が走ってるのをおもしろそう?と思ったのと、まあ色々なんじゃないかと推測するが、彼は自発的に歩き始め、このたびランニング用のシューズも仕入れた。

●それで、「一緒に行ってみる?」と何気なく誘うと、「うん」と素直な答え。夕方、福岡市動植物園を通る道のり、40分ほどを一緒に歩き、時々、かるーく走る。幸い、うちの周りはウォーク&ランするにはとても面白い道が多くて、起伏に富んでいたり、古くからの高級住宅街があったり、どんどん新しい店ができたりする路地があったりなんだよね。なかなか飽きないんじゃないかと思う。私も、人と一緒に走る(歩く)のは新鮮で楽しいので、続くといいなあ。でも、強要しないように心しよう。

●長くなりすぎたので、マイケル・ジャクソンについてはまた後日書く。
# by emit9024 | 2009-06-28 23:27