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春夏秋冬、ぐるっと、ひと巡り。

今夜は金曜日、夫は打ち上げという名の飲み会だって。それじゃあ私は今夜も走ろうかね、でも待てよ、「夫=飲み会、私=ランニング」という基本構造が定着すると、夫の不健康度と私の健康度がどんどん乖離していくんじゃなかろうか?なんて、ふと頭をよぎっていたのだが、夜7時に会社を出ると雨が降っていたので、幾分ほっとしながらランニング案を却下した。

とか書いてみたけど、よく考えてみなくても、ランニングによる健康増進がチャラになるくらいは、私もしっかり飲んどうっちゃんね。今週は水曜日のこと。お酒を飲まない子と「ごはん食べて帰っか。1時間ぐらいでサラッと引き上げよう」とか言いながら向かった居酒屋で、飲み助さんたちとバッタリ(というには常連ぽいので必然かもしれない・・・)鉢合わせし、おお!ここで会ったが百年目じゃ(?)、てなわけで同じテーブルについたが最後、先週に引き続き、気づけば終電間際の時間まで、やいのやいの盛り上がって痛飲してたのだった。しかも今週は土曜にも、いつものパターンでいくと落ちるまで飲む飲み会をばっちりセッティングしている・・・。

木曜日、つまり痛飲明けで起きると、明らかに口の中が痛い。年に1回か2回やってくる、親知らずの成長に伴うものであることはすぐに判明。こめかみから耳の下のリンパ腺あたりにかけてまでじんじんするし、ものを食べると痛みは増幅。いいかげん抜かなきゃいけないんだろうなーとは思いつつも、1時間おきにモンダミンで丹念に口内を洗浄するといういつもの療法を実施、今夜はだいぶ痛みもひいてきました。乗り切れそう。お酒も飲めそう(笑)

さて。
仕事やら急な飲み会やらで、どっちが先に帰るかわかんないし、先に帰ったほうが必ず作ってるとも限らないという、帰ってみたとこ勝負なのが我が家の夕食。いかに夫も料理ができる(しかも自分よりも上手い)とはいえ、義務感でやるとつらくなるものだと思うので、「当番制」を採用するのは嫌で、かといって「いつでも奥さんが作ってあげるわよ☆」というのももっと嫌・・・っていうか無理なので、帰ってごはんがあったらラッキー、なかったら何か適当に、というスタンスが定着している。

かといって、出来合いのお弁当を買ったり店屋物ですませることは滅多になく、どちらも残業で遅くなったり、あるいはどちらかが飲み会でひとりの夕食だったりしても、前日やお弁当のおかずの余りを活用したり、冷蔵庫の野菜やなんかを適当に見繕っておそばやパスタ、丼ものを作ったりと、まあまあ栄養豊富かつ経済的な食生活だと思っています。まあ、子なしの共働き生活だから、こんなもんじゃないかというところかな。もちろんそれを受け容れてくれてる夫には感謝だ。

ゆうべはかなり歯が痛く、あんまり固いものはつらいなーと思ったので、カレーを作った。手羽先(カレーに手羽先を入れるのが最近の母のおすすめらしいので)と、玉ねぎとニンジンをたっくさん入れて。ルーを溶かす直前の段階ってところで帰宅した夫、思いがけずごはんらしいごはんが出来てかけているのを見て非常に喜び、おいしーおいしーと言って「食べすぎじゃない・・・?」てぐらい貪っていた。そりゃ市販のルーなので不味くなるわけもないし、何よりカレーぐらいでこんなに喜んでくれるって、何て楽チンなんでしょう、、、。

式を挙げたのは7月だが、それに先立って去年の2月末に引っ越してきたので、夫と暮らし始めておよそ1年になる。

独身時代、恋人と毎日会いたい、なんて思うことは全然なかった。昔のほうが私はもっともっと仕事が忙しかったので、基本的に週末に会ってたし、それで十分で、むしろ毎日会うなんて、毎日一緒に寝起きするなんて嫌にならないのか?!という危惧のほうが大きかった。それぐらい、一人暮らしも満喫してたし、気楽だった。家族というカテゴリに入ってしまえばなおさら、お互いのエゴが剥きだしになって苛々したりするんじゃないかな、と思ってた。現に1年ほど前の日記には、そういう不安も結構綴っている(笑)。

しかし1年経ってみると、お互いに一人暮らしをした年月のほうがまだずっと長いのだが、普段はその感覚も忘れてしまってるぐらい、すっかり馴染んだ二人暮らしなのだから不思議だ。この家には二人いるのが当たり前。こうして夫の不在を特別なものとして、つらつら好きなことをするのも楽しく、飲んでゴキゲンになった彼が帰ってきてハイテンションでいろいろ話すのも楽しい。自分が飲んで帰った翌日は、「昨日はあんまり話せなかったから今日は!」と昼間からふと意気込んだりもする(かわいいな、あたし)。痛飲して翌日忙しく仕事して、歯も痛くて、それでも夕食を作ろうという気になるのも、夫が帰ってくるせいだ。ま、たかがカレー程度だが・・・。や、たかがカレーでも喜ばれるという、この手抜きシステム、否、「嫌なことはしないのよ、やりたいときだけやりたいことをするのよ、だって、そこには愛があるんだから!」というシステムを(好き放題気ままにやった結果)確立したこの1年なのだ! 

もちろん同時に、夫と仲良くしてればしてるほど、不慮の事件でこの生活を失ってしまうことを想像して、大事なものを得たがゆえにそれを失うリスクの大きさに怯えたりもする。それに、「はっ、なんで俺、もっと尽くしまくってくれる女と結婚しなかったんだろう・・・」とか夫が我に返ったりするとまずい。

なんにしても、まあ、1年。長くも短くも1年。この1年間をとても楽しく過ごせたという、まわりのいろんな環境に感謝しつつ、がんばった(何をだ?)あたしと、世にもよくできた寛容な夫を称賛しつつ、しかしまだ先のほうがきっとずっと長いので、これからも素直で奥ゆかしく謙虚な気持ちを持ちつつ(持ってるのか?)、1年という地点をするっと通り過ぎていきたいと思います。
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by emit9024 | 2009-02-27 21:53

母、おおいに感動す

帰宅して気づいた。19時前、携帯電話に母親からの着信履歴があった。
母とは特段の用事がなくても、1週間に1,2回は電話で話している。基本は土日で、余裕があるときは平日も話すが、共働き夫婦の夜は忙しかろう、と(主に夫に)遠慮して、平日夜に母のほうから電話がかかってくることはあまりない。

何かあったのかな、と一抹の不安を覚えながらコールバックすると、
「あ、エミさーん? 今日ね、見に行ってきたよ、『おくりびと』!!」
と元気そのものの声が。相変わらずミーハーな様子、うれしいよ・・・。

65歳の母は、シルバー割引なる特典によりいつでもどこでも1,000円ぽっきりで映画を見られるらしく、私なんかよりよっぽど、普段から上映中の作品チェックに余念がない。『おくりびと』のことは本上映期間から目をつけていたらしいが見に行くタイミングがなく、日本アカデミー賞を総ナメにしたので日曜日の私との電話でも話題に上がっていたのだが、週明け、本場(?)のアカデミー賞までも受賞してニュースでも盛んに取り上げられたのに触発されて、近く(といっても徒歩1時間くらいはかかる)の大型ショッピングセンター内にあるシネコンで再上映されているのを目ざとく発見し、さっそく鑑賞したとのこと。ちなみに私は未見だ。

「もうねー、すっごく良かったよー。納棺師さんの話とはいっても、聞いてたとおり、笑いもたくさんあってねー。始まってそうそう、ププッて笑っちゃった。あ、来月にはもうDVDになるらしいけん、アンタも見るやろ? あんまりペラペラ喋ったらいかんね。でね、モックンの、あの仕事の作法?もうすっごく上手やったよ、やっぱり。たいしたもんやねー」

「山崎努も良かったんやない?」

「そりゃもう、あの人はもう大ベテランやもん、そりゃ良かったよ。さすがやね。何しても上手いもんね。あと、『天地人』で秀吉やりよう人おるやろ? あの人も出とった。あの人がまた上手いもんね~。あ、余貴美子だっけ?あの人も良かった」

「あの人も、日本アカデミー賞で最優秀助演女優賞とったげなさ」

「ああー、そうやろう、そうやろう。うンまいもんねー、あの人。そいとね、あの人も出とった。岸田今日子さんと3人で仲のいいおばちゃん連中おるやろ? ほら・・・」

「冨士真奈美? 吉行和子?」

「そ、そ、吉行和子よ。あの人も出とった。弁当屋のおばちゃん役でね。ね、けっこう、そうそうたるメンバーやろ? でもやっぱりモックン良かったねー、あの、きれ~な納棺師のしぐさがね。あんなにきれいに送られたら良かねーって思った」

「山形やったっけ、舞台。映像、綺麗らしいね」

「そ、そ、雪のシーンとかあってねー。やっぱりあの辺はまだ、お葬式でもあげんなふうに、ちゃーんと、きちーんと、しよんしゃぁっちゃろうね。あ、でも、ヒロスエさんはイマイチ、、、」

「あ、そうなん? あの人だけ(日本アカデミー賞で)賞とれんかったもんね、かわいそうに」

「優しーい奥さん役で、途中まで良かったんやけどねー。うーん、お母さんとしては、最後、あらーって感じやったわ。ま、あれはヒロスエさんが悪いんやなくて、脚本っていうとかいな? そのせいで、良う見えんかったんやろうね。あっ、あんまり詳しく言うと悪いけん、言わんね。まぁ、見たらアンタにもわかろうけん」

「ははは、そうねー。」

「もうほんとねー、全然、暗くないとよ(註:母は暗い映画が嫌い)。笑えるとこがいっぱいあるとよ。んふふっ。いま思い出しても笑えてくるわ。あ、エミにはナイショにしとかないかんよね。でもねー、泣けるとこもあると。お母さん、最後ぼろぼろ泣いたわー。終わってからトイレで鏡見たら、顔がおサルさんみたいに真っ赤になっとった」

ぷっ。
興奮冷めやらぬ様子の母であった。

娘(私のお姉ちゃんね)と一緒に行ったのかと思いきや、「ん?一人で行ったさぁ」と飄々としている。
なんせ再上映なので、1日2回しかやってないらしく、姉からは遅い夕方からの回に誘われていたが、父親の夕食のしたくなどあるので母は夕方は都合が悪く、しかし姉は仕事の関係で午前中の回には行けないのだった。

かといって、ひとりでもくもくと出向いて見て帰ってくるわけではなく、そのショッピングセンターの和菓子売り場(?)で働くおばちゃんや、行き帰り(繰り返すが片道徒歩1時間くらいかかる)の花屋さんやらスーパーやらで顔なじみのおばちゃん、おばあちゃんたちと、かまびすしいお喋りを繰り返しながらの道のりだったらしい、いつものごとく。ええ、そのお喋りの内容についても、いろいろと聞かされました・・・。

それでも、やっぱり、感動(なのか・・・?)については、いち早く、娘に話したいんだろうねー。
なんかちょっと、きゅんとくる。

今でこそ、こうして母との電話も楽しく、他愛ない会話をできることがほんとにかけがえないな、って思うけど、10代の後半あたりでは、私、今思うとほんとに長い反抗期の中にいたよな・・・。

と、しみじみしたのは、最近読んだ日記エッセイ『第3の人生の始まり つれづれノート⑮』(銀色夏生 角川文庫)のせい。

筆者の娘、高校生になったカンちゃんが、反抗期(?)の只中にあり、小さな会話をかわすだけでも母娘お互い、どんだけストレスがたまるか、ってことを、これでもかって書いてある。そりゃもう、「こんなに微に入り細に入り書いてだいじょうぶなの?」てぐらいに。
とはいえ、15巻と銘打たれているとおり、15年以上にわたって書き続けられているもので、読者のほとんどは、私のようにカンちゃんが生まれる前からこのエッセイを読んでいるから、そこまでの違和感はないんだけどね。

読んでて、あー、あたしもこうだったんだろうなー、って思った。会話にならないぐらい、ギスギスすることがたくさんあったあのころ。親と私とは違う人間で、違う価値観や生活スタイルを持ってんだよ!ていう主張にとらわれてたから、母のひとつひとつの言葉や、大人として親として正論極まりないお説教も、いらいらしてしかたがなかった。お互いの言い分は永遠の平行線。

まあ、多くの子どもが通る道なので、親の宿命と言ってしまえばそうだけど、お母さん、よくぞ耐えてくれました・・・。ま、耐えるっていうか、普通にケンカしてたけどさ。そのころの親の痛みにも、今なら思いを馳せられるってもんです。

そんなわけで、母をこんなにも感激させてくれた『おくりびと』関係者には、感謝の念でいっぱいだ。DVDになったら、私ももちろん見ようと思います。あと、今日は夫が飲み会だったので、走りました。
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by emit9024 | 2009-02-24 22:30

もちろんたくさん寝ましたし。

先週後半いろいろ。

・サラリーマン御用達のお安い居酒屋にて、キープしたての焼酎5合瓶、女ふたりで飲み干す。もちろんその前には中ジョッキ生も数杯、飲み干している。

・今クールのドラマにどうにも興味がもてないため、DVDレンタルして過去のドラマを鑑賞することにする。

・『マンハッタンラブストーリー』 脚本、宮藤官九郎。
 キョンちゃん好きの私は彼女の作品を丹念に追っていきたい、という気持ちもありましてね。

・↑2003年放映だって。ぜんっぜんテレビドラマ見てなかったころだな。

・いつもより50円高い餃子を買ってみた。すごく美味しかった(焼いたのは夫)。

・周防正行監督作品『それでもボクはやってない』をDVDで見る。

・超話題作なので、あらすじはだいたい知ってたんだけど、それでも見ごたえあったー。
 淡々としてるのに1シーンも見逃せない!ていう緊張感。映画を見たな、ていう満足感。
 
・『映画生活』サイトやなんかで人々の感想を読むと、「この映画が、どうのこうの」っていうより、「痴漢冤罪の怖さって、どうのこうの」だとか、「警察や裁判所って、どうのこうの」ていう視点のものが、ものすごく目立った。見る人をのめり込ませた証拠といえるでしょう。

・脚本や演出の素晴らしさはあらためて言うまでもないが、キャスティングの妙にも感心。もちろんちょっとカッコいくて素朴で、でもじゅうぶん一般人らしい加瀬君の主人公は、まるでドキュメンタリーを見てるかのように、見る者をするっと感情移入させる。でもこの映画、内容が内容なので、そういう、いい意味で「役者臭のない」人ばっかりだと、「これはノンフィクションか?」てくらいに、つらくて嫌~な気持ちになってくる。途中から役所広司が主人公サイドの弁護士として出てきて、「あ、これは映画だったー、そうだ、フィクションだよー」って、無意識のうちにホッとした気がしたのだ。んで、さらにあとから登場する小日向さん。この人の登場シーン、相当さりげないがゆえに、なおさら「おおっよく見る顔だー!」と期待を煽り、果たしてその役どころは、、、て感じで、とにかく、2時間以上あるこの長い映画を、少しもダレさせない。

・日本アカデミー賞の授賞式を見るのが大好き。それは、授賞式を地上波で映す唯一の国内の映画賞だから。まあそれだけスポンサーががっちりついてるということか、商業的側面も大きく、必ずしも映画賞としての権威にみちみちてる賞ってわけじゃないことは大人になってから知ったけど、それでもやっぱり好きだ。

・ノミネートされた人の登場する場面を丹念にVTR紹介し、礼装の俳優さんたちが壇上に上がり、去年の受賞者がプレゼンテーターになってドラムロールが響いて恭しく発表する。基本的に演技でしか見ることの出来ない映画俳優たちが、自分の生の言葉を喋る。もう全体的にわくわくするのです。

・今年は、パッとテレビをつけたら最優秀助演男優賞の山崎努のスピーチ最後半だった。ものすごくいい表情でものすごくいいことを喋ったみたいだった、ああ。。。全部見たかった。もちろん、そこから先は最後までガン見しましたよ。木村多江さんが最優秀主演女優賞をとったのでとてもうれしかった。「ぐるりのこと」未見だけど、なんか絶対、自分にはぐっとくる映画だと確信してるので。

・主演男優賞やら作品賞やらは、「おくりびと」がとることは、多分もう満場一致でわかりきっていたけど、相変わらず三谷さんがわざとらしいパフォーマンス(両手を組んで祈るポーズから、作品名が発表されるや否や悔しそうな表情に一転してグラスの中身を飲み干す)とかしてて、それもまた風物詩よね。本人も、エッセイで「自分はああいう“賑やかし”のためにノミネートされてると思ってる」的なことを書いてた。でもいつか三谷さんにも受賞してほしいな。あんまりロコツに意図せずして、結果「あー今年は三谷作品しかないよね!」て感じで受賞したら素敵だと思うんだけど・・・。難しいか。

・土曜日、夫が昼間仕事だったので、私が夕食の準備をかってでる。♪寒い夜だから~♪、鶏団子鍋だ。か、簡単だな・・・。でも鶏団子おいしくできたぞ。簡単だけど・・・。鍋したらお腹いっぱいになるまで食べちゃうので(ビールもすすむので)、食前にランニングした。意味あるのか・・・。

・日曜日は夫が台所登板。昼、ゆうべの鶏ひき肉残りを使ったミートソーススパゲティ。
夜は、炊き込みごはん(鶏もも肉、ごぼう、にんじん、玉ねぎ)、サバの味噌煮、きんぴらごぼう、白菜と椎茸・長葱のお吸い物。

・完璧だ。完璧すぎる食卓。意欲あふれる、素朴な家庭料理たち。満足度120%だ。料理上手な奥さんをもつ旦那さんの気持ちがわかる。でも、その中には、「奥さんたるもの料理が上手いのは当たり前」なんて、自分の幸せにてんで気づいていない旦那さんもいるだろう。そういう家庭に、私は時おり、奥さんの代理として派遣されていくべきだな。「幸せ気づかせ人」として。

・週末、本を4冊購入。どんどん読んでいる。幸せ・・・。
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by emit9024 | 2009-02-23 22:34

エルサレム賞授賞式の春樹についてもう1件

まずは、件のスピーチ全文へのリンク。

・原文
・日本語訳(匿名さんによるものです)

日本の新聞社系のニュースサイトとかで全文掲載してるところ、なくないですかー?
ゆゆしきことだと思うんですが。
普段、天皇陛下の会見とか、小室てつやさんの裁判とかの記録も全掲載してるくせに!
私のサーフィンが下手なだけ?


全文を読むと、改めて巧みさに唸らされるし、
春樹の文体に馴染んだ者としては、大舞台にあっても親しみを感じるし、
同時に、「ほんっと、かなり突っ込んで喋ったな!」という思いも強くなります。

これだけの英語原稿を自分で書いて自分で喋るって、
さすが春樹だなーと思うけど、まあ、もともと、そういう人ですからね。
政治家さんなどと違ってこの人には当然スピーチライターなんていないし。
英米文学への深い造詣あっての、この人だし。
英文であってもまったく春樹らしさが損なわれないというか、
むしろだからこそ世界中の言語圏に読者がいるわけで。

遠い将来、春樹の全集みたいなのが発行されたりしたら、このスピーチもきっと収録されるんでしょうね。
これも立派な彼の「著作」だな。

衆目にさらされることを嫌うことで有名な彼が、
その著作の中にさえもなかなか見つけることの出来ない、
個人的・政治的(ともとれる)スタンスについて、このように世界中に注目される舞台で
ご本人がかなり明確に「喋って」るんだから、私ら読者にとっては不思議なもんです。


で、また「はてな」を始めとする熱いネット論壇も徘徊。

授賞式当日、速報(スピーチの抄訳)に接した際の感想は前のエントリの通りなんだけど、
いろんな人の意見を読むと、なるほど、と思うこともいろいろあったな。
みなさん、思考やロジック、文章がアカデミックというか、
私には難しくて一読では呑みこめないよー!てのもあったけど。


一般的に(とか書くけど、『一般的』の定義とかは詳細に吟味してませんよ、すみません)
あの講演は、おおむね好評を博したようです。
中川大臣の例の会見も同日に報じられたせいか、両者の印象を比較して、
「春樹さんは立派! よくぞ堂々と述べた! 日本人の誇り!」
というような意見も、多々見られました。
うん、無理もない。率直な感想だよね。同感です。


ただ、やっぱり読み過ごせないのは、
(以下、引用ともいえないほどに、どの意見もものすごく自己編集してます)

「あのスピーチが全世界に配信されたからといって、世界は何も変わらない」
というような意見だったりします。

そりゃまぁ当然そうだろ、あのスピーチで突然に世界平和が訪れたりしたら、
それこそ春樹は教祖様ってことになるでしょうが。
と、乱暴に考えれば考えられるところですが、そのように論じる理由として、

「あのスピーチがエルサレムのその場において聴衆に拍手された時点で、
 イスラエルの『寛容さ』が際立つという予定調和に終わっている」

と挙げられたら、考えさせられざるを得ません。
つまり、イスラエル側は、こういった、自国を弾劾されるスピーチをも想定して、受賞者を選んだ、と。
それをも受け容れる「言論の自由」をもってるんですよ我々は、と。
そういう文明国なんですよ、と。
あの国があれだけおおぜいを虐殺をしておきながら、そう主張する手だてのひとつが、この賞なのだ。
確かにそういわれると、深い無力感に打ちひしがれます。

(エルサレム賞の審査員(?)がどこまで政治と関わっているかは不勉強にして知らないけど、
 授賞式にイスラエルの大統領やエルサレム市長が出席し、賞状(?)を手渡してたのは事実。)

しかし、「賞を授けますよ」と公的に表明された立場である春樹さんとしては、

・受賞拒否して、沈黙する
・受賞拒否して、イスラエル弾劾(とも解釈できる)意見を表明する
・受賞して、何も言わない
・受賞して、受賞式の場でイスラエル弾劾(とも解釈できる)スピーチをする

大まかに言うとこれくらいの選択肢しかないわけで、
その中で最後者を選んだ春樹には当然、思うところがあったのだろう。
まあ、それがノーベル賞に対する布石とか、もっというと野心とか、
穿った見方はいくらでもできるとしても、
そういうのをひっくるめても、彼の「信念」が表出したのが、今回だと思う。

スピーチでも、「多くの人に反対されながら、なぜ私がここに来たか。」
ってことについて、言を割いてましたよね。


私たちは、彼の、誰かの、思うところを想像したり、
彼の言動に対して自由な感想を述べたりすることができる。

だけどもちろん、本件に興味すらない人だってたくさんいるし、
(それどころじゃない、っていうガザ地区で命の危険に晒されてる人たちも含めて)
春樹の本を読んだことないけどニュースで見ただけ人たち、
あるいは春樹を好きすぎる(?)人たちもいる。
その中には、「春樹すげーよ! おめでとう! かっこいー!」
で終わる人たちだってたくさんいる。

そういうのに対する、ネット上の意見(例によって自己編集済みですよ)。

「このスピーチにカタルシスを感じ、春樹を素晴らしいと評じ、
 しかしそこで思考停止して、3日も経てば忘れてしまう。
 それが一番、警戒すべきことだ。
 あのスピーチから、すべての人が自分の『実践』を始めるべきなのだ。」

うん。そう。そうだよね。ほんとにそうだ。
これ聞いて、感動して、ハイおしまい、じゃいけないんだ、って思う。

ただし、ネット論壇でも当然、指摘されているように、

「じゃあ実践って何?
 イスラエルを糾弾したって、マイクロソフトとかインテルとか入ってるパソコンで
 ブログ書いたりすること自体(わたし註:いわゆる『ユダヤ・ロビー』とかの話ですよね?)
 イスラエルに加担してるといえなくもないんだよ?」
とかって問題提起されると、もう、がんじがらめになって動けませんけど・・・


“壊れやすい卵”という我々ひとりひとり、イコール個人に対するものとして、
“高くて堅すぎる壁”イコール体制あるいはシステムというものを挙げ、
いつだって卵の側につくと言い切った春樹すら、
結局は、“壁”の中で、彼自身が“卵”として脆弱な発言をしたにすぎないのかもしれない。
この世にある限り、壁つまりシステム、制度から逃れること、
その一切とかかわりのないところで生きてくことはできないんだろう。

だけど“壁”を壊すのは生半可なことじゃないんだもんね。
壁の中で声を上げる、ていうのが、卵にできる最大のことかもしれない。
でも、それがなければ始まらない。


30年も前は、春樹も星の数ほどいる新人作家のひとりで、そのころには、
30年経ってこんなに大きな意味を求められる立場になるとは思いもよらなかっただろう。
彼の小説家人生は、その著作のセールスや影響力とは裏腹に、
地道で実直で、マスコミとは無縁の世界をできるだけ選んできたものだと思う。
それが、いつのまにかこんなところまで来て、今、あの場でああいったスピーチを行った。

彼を真摯な人間だと思うし、今回のことは、ほかのいろんな人の意見を読むこととともに、
私にとっては、ある意味、人生観を揺るがすような大きな出来事だった。
読む人にとっては、なんの論理性も感じられない、あるいはつぎはぎの記事かもしれないけど、
自分のその記憶のために、これからのために、ここにも記しておきたいと思います。


参考エントリ

下記以外にも、これらのトラックバック等を辿っていろいろ読みました。
例によって、直接のコメント欄やブックマークコメントにも注目。

・モジモジ君の日記。みたいな
村上春樹、エルサレム賞授賞式でイスラエルを批判
「村上春樹」を巡る政治

・関内関外日記
よくやったじゃねえか、村上春樹、よくやったぜお前!そして打順は巡ってくるんだぜ、俺、世界!
村上春樹の件について、なんかどうも手放しでよろこべない理由を考えてみたんだ

・planet カラダン
洋上のスピーチタイム

・琥珀色の戯言
「わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか」

・過ぎ去ろうとしない過去
「永遠の嘘」を構成する者


追記
春樹さんも今や、60歳か。映像を見ると、大ファンとかではない私ですら、
さすがに年を経られた様子に感慨を覚える。
でも、きゅんとくる。お元気そうでとても嬉しい。
海辺のカフカもねじまき鳥クロニクルもアンダーグラウンドも読んでないしこれからも読まないかもしれないけど、やっぱり、なんだかんだで春樹さん好きだー、って立脚点で、書いてることは間違いないっす。
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by emit9024 | 2009-02-18 21:35

春樹、エルサレムで講演す

朝の時点では『夜は短し歩けよ乙女』(森見登美彦 角川文庫)についての感想を昨日に続いて追記しようかと思っていたんだけど、やっぱり今日はこれについて書いとかなきゃって気持ちの私です。

『村上春樹 エルサレム賞授賞式で記念講演』
(以下は産経新聞ニュースサイトの抄訳です)


一、イスラエルの(パレスチナ自治区)ガザ攻撃では多くの非武装市民を含む1000人以上が命を落とした。受賞に来ることで、圧倒的な軍事力を使う政策を支持する印象を与えかねないと思ったが、欠席して何も言わないより話すことを選んだ。

一、わたしが小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のことだ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか。

一、高い壁とは戦車だったりロケット弾、白リン弾だったりする。卵は非武装の民間人で、押しつぶされ、撃たれる。

一、さらに深い意味がある。わたしたち一人一人は卵であり、壊れやすい殻に入った独自の精神を持ち、壁に直面している。壁の名前は、制度である。制度はわたしたちを守るはずのものだが、時に自己増殖してわたしたちを殺し、わたしたちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる。

一、壁はあまりに高く、強大に見えてわたしたちは希望を失いがちだ。しかし、わたしたち一人一人は、制度にはない、生きた精神を持っている。制度がわたしたちを利用し、増殖するのを許してはならない。制度がわたしたちをつくったのでなく、わたしたちが制度をつくったのだ。


全文を掲載しているwebはまだないみたいですね。
彼が実際に発した英語のスピーチをもうちょっと詳しく引いてるサイトがあって、
それを読んだ感じでは、この抄訳よりももっと「村上春樹」らしかった。
いかにもスマートでナイーブで、小憎らしいほどクールかつシニカル。
もちろん同時に、隠喩は示唆に富み、単語のひとつひとつ、文章の連なり、
声に出して読んだ感じの響きにいたるまで、目配りし尽くしてるな、と感じた。

(とはいっても、私の英文読解力といったら、
 今や大学生よりさらに落ちるくらいのレベルだろうけどね・・・)

イスラエルの文学賞であればなおさら、
記録どころか後世に残る歴史としてすら残るスピーチになってもおかしくないものだろうから、
言葉を操るのを業とする作家としてこの賞を受けた以上、
(春樹は、意見を表明するにあたって、
 『I have a come as a novelist, that is - a spinner of lies』なんて言いまわしで始めてますね)
よくよく推敲された全文であることは疑いもない。

しかし、ネットやテレビ・新聞は言うに及ばず、人々の口の端にのぼる場合でも、
抄訳よりもさらに短い「抜き出された」フレーズが
独り歩きすることをも十二分に見越した、周到なスピーチだと思う。

 「高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵。
  自分は常に卵のがわに立つ。壁のがわに立つ小説家に、何の意味があろうか?」

うーん、うまいね。さすが春樹。
や、ナナメに構えて言ってるわけじゃないんだよ。

私がこれまでに読んだ春樹の著作群。
『風の歌を聴け』
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』
『やがて悲しき外国語』
『辺境・近境』『遠い太鼓』『シドニー!』
『走ることについて語るときに僕の語ること』
あとは、村上朝日堂シリーズを始めとする、お気楽な(?)エッセイなど。
決して多くない。海辺のカフカもねじまき鳥クロニクルも、アンダーグラウンドも読んでない。

そんなつまみ食いの私にとっても、
このスピーチ(の抄訳)における彼の立脚点は、彼に対する印象をまったく修正させなかった。
いかにも春樹さんらしいなー、と思った。
というかむしろ正直なところ、抄訳を読んだとき、ぐっと熱い気持ちがこみあげたもん。

いわんや、真性のハルキストたち(揶揄じゃないよ)はさぞかし感激し、
デタッチメントに始まった彼の文学をここまで追い続けて来た人などは、
「春樹、ここまで言うようになったか・・・・」ていう感慨に堪えなかったりするんだろう。

一方で、
「“あの”村上春樹がここまで踏み込んだ発言をするとは」
と驚きをもって受け止める人々も少なくないだろうし、
このスピーチで初めて彼の言葉に触れた人々は、
「なんか骨のある奴じゃないの」
という印象をもったりするんだろう。

なんか、ほんとに、つくづくねー、さすが、春樹ともなると違うね!て感じるんだけども。

でも、どこの誰にどんな受け止められ方をされようとも、春樹さん自身は
「これは欺瞞じゃない、僕の、真摯な、真実の言葉だ」
って胸を張って(彼は胸を張ったりしなさそうだが)言えるんだろうな、
って思える。思わせる。

だからこそ、このスピーチの価値、この受賞の価値というのは間違いなくあって、
それは春樹自身の輝かしいキャリアのひとつになるのかもしれないけど、
世界じゅうにとって意味のあることなんじゃないかな、って思った。
おのれの栄光のためだけに、このスピーチをしたわけじゃないんだろうと思う、春樹さんは。

「We must not let the system control us - create who we are.
 It is we who created the system.」

あ、そうだ、you tubeなんか見たら、動画がupされてたりするんかな。
春樹の講演なんて見られるの、そもそもレアだよね。
どーせ英語だから聞いたそばから理解できるなんてこたぁないけど、
日本語でスピーチしたなんて、(芥川賞受賞以来?)ついぞ耳にしたこともないし、
これからも日本では絶対しそうにないからなー。
あー私、野次馬感覚も、結局、否めないなー。
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by emit9024 | 2009-02-16 21:45

週末の廃人が吠えますよ

●13日(金)
仕事のあと、飲み会。しかも焼肉飲み会!
明日は休みであることだし、腰を据えての長期戦をも辞さない覚悟(?)だったが、予想に反し、諸事情のため早々に散会となってまっすぐ帰宅。それを見越してのんびりと飲んで帰ってきた夫、「なんで居るの~?」とびっくり。こんなことを繰り返している我々である。お互いにほろ酔いでDVDなど見返しながらひとしきり騒いで寝る。

●14日(土)
夫、仕事へ。私は惰眠を貪ったあと、週末恒例(週末しかしていない・・・?)の掃除に精を出し、買出しにゆき、おうちでせっせと調理。6時半帰宅した夫がそれを素早くタッパーに詰めて、徒歩2分のみなみ亭へ。といってもみなみくんは出張(視察=たなかまさん曰く「inspection」)で不在、その隙を縫ったわけではないが、ママとベビーが残されたみなみ家を賑やかしに、うちらとたなかまさんたちで参上。おのおの酒と料理を持ち寄っての砕けた宴会と相成りました。いやー、料理上手のお酒好きが集まると、かなり充実した晩餐になるね! それぞれの家庭の味を味わえるのは外食とはまた違った楽しみ方だ。ちなみに我が家からは、NHK出版の「きょうの料理ビギナーズ」今月号のメニューより、できる限りレシピに忠実に再現した肉野菜料理2種をお持ちしましたけどね。昨今、価格高騰中のエリンギを廉価の白舞茸で代用したのが唯一の創意工夫(違)というマニュアル人間っぷり。30歳のわたくし、いつまでビギナーズ誌を愛読するのであろうか・・・・。でも美味しかった。よね?

●15日(日)
おなじみの週末廃人ぶりを発揮。先日手に入れていた『信長の棺』(加藤廣 文春文庫)は既に読み終わっていたのだが、興味深いシーンをつらつらと再読。あれだけ有名でありながら今なお謎の多い桶狭間の合戦・本能寺の変という信長関係の2大事件にまつわる本格歴史ミステリー。信長の忠実な犬(猿か・・・)であった秀吉と、時の帝・正親町天皇の朝廷の重臣であった近衛前久が黒幕であるという見方は、かつて安部龍太郎が新聞連載していた作品(名前忘れた)においても披露したように、昨今の定説のひとつにもなっているのだが、安土城の細密な構造や、当時の日本における暦の混乱を統一しようとした信長の為政者たらんとする姿が明らかになる過程はぞくぞくするほど面白かった。ラストでついに発見される信長の真の墓所においてのエピソードも、彼の「天下布武」という崇高な志をもった英雄であるという面、しかしそのために大量の無辜の民をも屠り続けたという「人道に対する大罪人」たる面とが、両方ともに後世の読者の胸に迫ってくるもので、私としては大変満足した読書だった。筆者の加藤廣はもともと高名な経済学者だったそうだが、70歳を過ぎた2005年、この処女小説を上梓し、本書を受けてさらに『秀吉の枷』『明智左馬助の恋』という作品を書いて3部作としているらしい。続く2作はまだ単行本のみの刊行なので、文庫化を楽しみに待ちたいと思います。

さて、その後は同時に購入していた『夜は短し、歩けよ乙女』(角川文庫)という、数年前の単行本出版当時、かなり話題になった、今をときめく若き作家である森見登美彦の作品の文庫本に手をつけた。いかに廃人とはいえ(?)1日かからず読み終わったのだから、面白い作品だったとは思うのですが・・・うーん、こう、イマイチ、素直に賞賛できないっていうか・・・。感想を書くまで、もうちょっと寝かせておこうっと。

それよりも惨憺たるありさまなのは大河ドラマ『天地人』です! 先週も決定的な駄作感に打ちのめされ、こんなぬるい展開が続くのなら、もういっそ見るのをやめようかと思えるほどでしたが、伝統の「大河」の号を冠するに堪えないショボっちいドラマを、いったいいつまで垂れ流すつもりなんでしょうか。大枠の流れは日本人なら既にわかりきっている中、歴史上の人物(や、ドラマ上の創作人物)が、大きなうねりを変えられない過酷な人生を、ひとりひとりの人間として必死に、崇高に生きていく姿を見たい、というのが長年の大河ファンとしての願望なんですが、もう大河ドラマにすら「格調高さ」を求めてはいけないってことなのかしら。繰り返し書いてるけど、俳優さんたちの演技は悪くないと思えるだけに、脚本と演出の稚拙さが悔しい毎週日曜日の夜なのです。
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by emit9024 | 2009-02-15 23:57

「楽しすぎて死ぬ」!くらいに

あー、超感情的なエントリであることをお断りしておきます。
これ読んでも読んでる人はわけわかんないと思います。
いつも以上にすこぶる個人的な日記です。

続きはこちら
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by emit9024 | 2009-02-12 20:40

走れ!心の命ずるままに。

日記の間隔が3日あいたが、きのう(月曜)はどーでもいいとして、
土日のことは是非したためておきたいのだが、もうちょっと気持ちを寝かせてから書く。
「言葉にできない。」(by 小田和正)あるいは、
「楽しすぎて死ぬ。」(by みずきひろゆきくん)

それでとりあえず今日のことだが、めでたく仕事も落ち着きまして。
3月本決算の会社は、そろそろ3Q決算発表のピークですからね。
仕事は7時過ぎに終了。夫は飲み会。
ここが思案のしどころだ。
「一人の楽しい今夜、しかも明日はお休み(祝日バンザイ!建国記念バンザイ!)。
 さあさあ、どうやって過ごそうか?」

 A.楽しくおうちでひとり晩酌
 B.楽しくランニング

ヲイそれ以外ないのか!?
なんだか人間的貧しさが匂う二者択一。気にしないでください・・・。

で、今夜はBを選択。

だってこんなに早い時間から飲み始めたら、
きっと夫が帰ってくるまで延々と飲み続けるだろうし、
へたしたらゴキゲンで帰宅した夫が「2次会だー」とか言い出すかもしれぬ、
従順な妻としては(?)もちろん夫唱婦随を旨としていますから(?)
そうなるともうエンドレスで飲み続けることになるだろう。
(だからこんなに早くから飲み始めなければいいだけの話やん、って突っ込みはなし。)

これから家に帰ると8時前から走り始めることができるだろうから、
そこから1時間走っても9時前には終了するわけで、
うん、どーせ明日は休みだし、それから飲んでも遅くはないのだ。

寒気はゆるみがちとはいえ2月の夜、
仕事したあとに10キロ走ることのハードルがこれぐらい低いのは、
これまさに、日頃の研鑽のタマモノよのう。

などと自画自賛しながら元気よく走りに出たものの、
3キロほど走ったところで横っ腹が痛み出し、
途中あっさり棄権を検討した私は、しょせんその程度のへっぽこランナーです・・・。

でもだいじょうぶ。途中で復活しましたよ。
今夜の10キロのタイムは、前半29分7秒、後半28分30秒、しめて57分37秒。

遅いよね。ウン。なかなか、速くなれん。
てか、基山のレースにおける56分27秒の記録って、いったい何だったんだろう。
やっぱりあれは、レースマジックだったのか。
それとも、あれだけ上り坂で苦しんだレースだったけど、
上ったぶんだけ下ったわけで、下り坂で勢いに乗って思わぬスピードが出たのだろうか?
そんな気がしなくもない。
平坦コースのほうが、案外メリハリつけにくいのかもしれない。
人生、楽ありゃ苦もあったほうがいいってわけか?

と、ここまで書いたところで、
季節限定のビールなど買い込んで帰ってきた夫が、
思惑どおり(?)に2次会を所望。
1時間半あまりおつきあいして、この日記UPする今です。
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by emit9024 | 2009-02-11 00:17

それでも羞恥心

最近のこと。

●火曜日
仕事のあと、ちょろっと焼鳥屋に寄って帰る。
初めて行った店だったが、安くて美味しく、気に入りました。
しかし親しい人のなかなか深刻な話もあり。
励ましようもなく、ただこうやって付き合うことぐらいしかできないのよね・・・。

●水曜日
朝からちょっとしたアンラッキー、というか、単なる自分の不注意が重なり、落ち込む。
午前中は例の腹痛で体もたいそうきつく、
こんな日は早く帰って夫の能天気な顔でも見たいよ。
なんて(都合よく)恋しくなったりするが、彼はこの夜、飲み会なのだった。

しかし夕方には心身ともに復調。
そうなると、俄然、久しぶりにひとりで楽しく過ごす平日の夜に対する意欲が湧いてきて、
7時過ぎには意気揚々と退社、本屋で5冊まとめ買いし、スーパーに寄って、
とりあえず家事をすませるに限るね!
と掃除や台所仕事に精を出し、適当に夜ご飯をすませ、
明日のお弁当のおかずを作っていると、「ただいまー」と元気な声が。
えーーーー! まだ20時45分なんですが!

「や、思いもよらず早く終わってしまった。
 そういう顔するだろうと思うと帰るのも忍びなかったんだが、
 あいにく、帰るところが他にないもので。」
憮然とする私に、にこにこと弁解する夫はやはりかわいく、(と思ってしまう自分もかわいい)、
一緒にビールをあけて、このあと一人でワクテカと見直すつもりだった『天地人』につきあわせた。

『天地人』、面白いシーンはいろいろある。
役者さんは総じて、繊細なまでにいい芝居をしてると思う。
青々とした少年期を演じてるつまぶきくんや北村さん、
それに対する、仁愛にあふれ堂々としつつも人間くさいあべちゃんの謙信や、
恐ろしい中にもどこか品のある、声とガタイの良い吉川さんの信長、
皺皺のお顔でもひょうきんで、しかし食えない雰囲気を醸す秀吉は特にみどころ。

でもやっぱり、どうしても「ぬるい」と思えてしまう。
そういう意図で作られてる今年の大河だから、これはもう好みの問題なんだけどね。

ということで、私好みの『風林火山』から、HDに残してる川中島合戦の回をまた鑑賞。
くーーーっ、男汁が飛び散ってるね! 血湧き踊るね!

●木曜日
朝は、また腹痛。薬を服用するほどではないが。

仕事、とある件について監査法人と協議。
議論はできるんだけど、落としどころへもっていけない自分の未熟さよ。
「明快な論旨をもって臨んだのに、だめでした・・・」
狭い会議室で1時間あまりを費やしたあげく、
窒息寸前で戻ってきた不甲斐ない私を笑い飛ばして、
「はいはい、『大人の結論』を出してくるから。」
と出陣してくれる上司であった。
なむはちまんだいぼさつ。

21時帰宅、とんねるずの食わず嫌い王決定戦、
長瀬さんと巨人(ではないね、もう)の上原さんの対決を楽しく見る。
「ほんっと、男くさーい、いい顔になったね」
「かーっ、男らしい!」
長瀬さんをさかんに持ち上げる石橋さん。
それこそ「大人の事情」だとしても、うれしいファンの私。

「なんて男前なんでしょ」
「1ミリの甘さもない顔だね」
「こんな顔して、いつでもどこでも素ってとこがいいよね」
「外国の俳優みたいだ。てか、キューバあたりで革命起こしてもおかしくない」
いいと思ったら、およそ思いつく限りの言葉でしつこく表現し続けたいタイプの私も、
褒め殺しの勢いで、長瀬さんを絶賛し続ける。

うんざりしたのであろう、夫、
「俺、長瀬に似てる?」
などと血迷ったことを口走るので、
「1ピコグラムも似てないよ。」
と、とびきり優しく答えた。
でも、遠くの長瀬より、近くの夫だよ。愛してるよ。ごはんも作ってくれるし。

●金曜日
仕事してると、いろいろ、あるよね。
と、つくづく感じ入る出来事、今日も有り。

社会人としてはまだまだ若造の部類に入るだろう私、
これまでにもさんざん、
発展途上らしい、いかにも恥ずかしい自分を仕事の場でさらけ出してきた。
泣いてしまったこともあるし、分をわきまえない発言したり、
青くさく反抗したり、奢った態度をとったり、周りが見えてなかったり、
年下の人に大人げないふるまいをしたり、飲みすぎたり。
日々、反省すべき点があるものだ。

ただ、年を経れば、落ち着いていくものだとも限らないと思うんだよね。こういうのって。
年も職位も私よりずっと上の人たちですら激昂しあうような場面に出会っても、
ある意味、驚かない。

職務上の立場にしろ、役職にしろ、それぞれの性格にしろ、
いろんな違いをもつ人間が、協力し合ったり利害が一致したり、
あるいはぶつかり合ったりするのが、仕事という場。
ビジネスライクに徹するばかりにはいかない。

でも、そういう「剥きだし」を受け容れあう雰囲気ってのもあるのが、
仕事とは言えど、結局、人間対人間なんだなーと思う。
誰だって、一生懸命になるあまり、感情的になることもあるさ。
って、みんながわかってるものなのさ。

大人になってから、友だちと真剣に喧嘩したりすることって、あんまりない。
久しぶりに会えば懐かしくうれしいものだし、
そういう気持ちにならない人とわざわざ会ったりすることもないし。
たとえ、生き方のベクトルが変わってきたりなんかして、
会ってみると何かしらの違和感を覚えたって、
少々の切なさを感じながらその場をやり過ごすものじゃないだろうか。

だけど考えてみれば友だちだって、
かつての「恥ずかしい」ことをお互いに知ってる仲なんだよな。
そういう仲だった子が、今では大人になって立派になって分別もついて、
自分の生活をちゃんとやってて、変わったようで変わってなかったりして、
昔いろいろ恥ずかしかった自分のことを、今でも肯定してくれてる。
昔の友達に会うと妙に元気付けられる気分になるって、そういうことなんじゃないかな。

やっぱり、人と人とが交わるのって(人間交差点?)、
基本的に恥ずかしいことがたくさんあるわけで、
それを受け容れあえたところに、つながりってのが生まれるんだろうな。
その場所が、子どもの頃は学校で、大人になれば職場だったり地域だったり、
あるいは家族や親戚だったりするっていう、「場所」の違いだけで、みんな同じだ。

なんて、ある意味あたりまえのことを、しみじみと考えてみたりした今日だったとさ。

あたし、昔から「羞恥心」て言葉が好きだったのに、
去年のあのユニットのおかげで、その語彙を出すだけでも、
なんか妙に恥ずかしくなったよね・・・。
上地さんのことも、つるのさんのことも、好もしく思ってはいるのだけど。

今夜はまた夫が飲み会なので、
久々に納豆パスタなど作り、
(彼は納豆を加熱するのを嫌うので一人のときしか作らないメニューなのだ)、
のんびり書いてみたのだが、決してお供のアルコールのせいばかりではなく、
思いついたままにつらつら書いても、なんの説得力もないかな。。。。ていう日記でした。終わり。
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by emit9024 | 2009-02-06 22:51

生殖器関係・・・

いくぶんデリケートな問題ですが、まあこういうことで悩んでる人もいる、
っていう感じで書きます。

きのう、会社で突然の生理痛に見舞われ、
鎮痛剤が効いてくるまでの約10分間があまりに苦しく、
「ほとんど我慢できないといってもいいくらいだ。」などと、
時節柄、村上春樹くずれみたいな文章を思い浮かべたりしながらやり過ごしていたのだが、
同時に、「これはもしかして病的な痛みなんじゃないだろうか。」と、ふと思いついた。

インターネットで 「子宮内膜症セルフチェック」をしてみると、
うん。いくつかあてはまる・・・ような気がする。

これまで、生理が重いという自覚は、それほどなかった。
生理痛は個人差こそあれ多くの人が経験していることだし、
私の場合は市販の鎮痛剤で事足りる程度。
また、周期は申し分なく安定しているし、毎月律儀に排卵している気配もある。

しかしよくよく考えてみると、鎮痛剤無しで乗り切るなんて考えるだに恐ろしいし、
実際、鎮痛剤が効きはじめるまでの苦しさといったら、
本当に体をまっすぐにしていられないくらいなのだ(家の中では這って移動する)。
昔は、ここまではなかった。じゃ、昔っていつ? 
たぶん結構な昔のことで、はっきり思い出せない・・・。

この病気に罹る女性が増えているのは、
女性のライフサイクルの変化に伴う月経回数の増加によるところが大きいらしい。
月経の回数を重ねれば重ねるほど、症状が進行していく病気なのだ。
驚いたことに、戦前の女性が一生で経験する月経の回数は、50回ほどしかなかったという。

50回だよ! 一生でだよ! たったの50回!

初潮を迎えて程なく結婚し、避妊することなく妊娠、出産、授乳を繰り返すとそうなるんだって。
すげー。言われてみりゃ、そうかもだけど。

妊娠、出産って、女性にとって命をかけるほどの負担が伴うものでもあるけど、
同時に、それをこなす(?)ことによって軽減される病気リスクというのも、
実はけっこうあるものなんだね。

翻るに自分はというと、11才になる直前から始まった生理は途切れることなく既に20年近く続いている。
ってことは、1ヶ月に1回として既に240回! すでに戦前の女性の5倍のアドバンテージ!(違)
閉経まで、あと20年はあるだろう。さらにこれから240回! 
つまりこのまま出産しなければ、私は一生で500回も生理を経験するわけだ。
戦前の(平均的)女性の10倍。
そりゃ、病気にもなるわ、って気分になってくる。

ぽこぽことたくさん子どもを産むのが一番の解決策らしいが、そうもいかんしね。
だいたい、子宮内膜症は、不妊の原因になりうるらしい(必ずなるわけではない)。
産みたくても産めなくなる(というか、孕まなくなる)可能性があるということだ。

そう、生殖器関係の問題は、ここもキモになってくる。

私は(夫も)子どもをもつということに対して消極的なわけではない。
子育ては本当に、苦労も多い一大事業(?)だろうが、
やっぱり普通に親ばかになって必死にやるだろうって思う。
ただ、今すぐ絶対何がなんでも欲しーの!という姿勢ほどでもない現状だ。
そして、望んでも授からないケースというのも世の中にはたくさんあるのだから、
その場合を想像したことも、これまでに何度もある。
特に私、飲酒も喫煙もしてるし(しかも夫も)、仕事もけっこう忙しいし、
その時点で受精能力って低いはずなんだよね。

あくまで想像の範囲であって、想像の結果は「わかんないな。」ということでしかない。
不妊治療というのを自分は(また、夫は)やるのか。やる場合、どこまでするのか。
費用も時間も、肉体的精神的負担もものすごいという治療・・・。
そこまでしなくても、とか、子どもがなくてもそれなりに楽しく(?)生きていくのでは、とも思うし、
そもそも、子どもがいる>子どもがいないという不等号で、人生の価値をはかることもしたくない。

一方で、「どうしても欲しい」という人がたくさんいるのもわかる気がするし、
あと何年か経ったら自分もそういう気持ちにならないとも限らない。

ならないとも限らないのであれば、
小さな不安も早いうちに摘んでおいたほうがいい、
つまり気になる症状があれば病院で調べとけ!ということになるのだろうが、
ここで「うん、不妊の可能性がある病ですね」と言われたら、
これまで想像してみて「わかんね。」だった問題と、真剣に向き合わなければならなくなる。
正直、それが嫌なのだ。嫌っていうか、怖いっていうか・・・。

「もしかして私の生理って重い?」というふとした気づきから、
既にけっこう大きな問題にまで自分の中で発展してしまって、戸惑っている。
でもまあ、そのうち病院に行ってみようと思います。今日のところの結論。
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by emit9024 | 2009-02-05 22:35